あれ、こうやって歩くと…
こうして駅の周りを歩くとよくわかる。豊島園駅の周辺は、旧としまえん、スタジオツアー東京以外はまったく徹底的なまでの住宅地なのである。どこまで行っても住宅地。むしろ、住宅地の真ん中にとしまえん、そして今はスタジオツアー東京という最先端のテーマパークが突如として現れるというほうが、この町を表現するには的確なのかもしれない。
大江戸線の豊島園駅が開業したのは1991年だが、西武線の豊島園駅が開業したのはそれよりも遥かに昔、1927年のことである。当時はまだ西武鉄道という名はなく、武蔵野鉄道の駅だった。最初は豊島駅と名乗り、1933年に豊島園駅に改称した。この駅の目的は、もちろん遊園地の豊島園(「としまえん」に改称したのは1980年)である。
遊園地・としまえんは、戦国時代には豊島氏の居城だった練馬城址に築かれた遊園地で、1926年に部分開園、翌1927年に全面開園した。練馬城は豊島氏が太田道灌に攻められて滅びて以来廃城になっており、その後はほとんど手つかずの地であった。
それを1917年に実業家の藤田好三郎が買収。しばらくは自らの別荘地として利用していたが、関東大震災を経て一般に公開する豊島園として開園したものだ。豊島園駅も、全面開園と同じ年に開業している。
その当時の豊島園一帯はどんな町だったのか。『武蔵野』という雑誌の1928年5月号を開くと、次のようにある。
「曠野に聳ゆる一圓の松林中に、隠見する古城は異國情緒をそそり、好奇の眼をみはらせる。コンクリートで固めた古城建築の展望台に登れば、富峰につづく秩父日光の連山が一眸のもとに眼界に収まり、武蔵野特有の曠野が周囲に展開し来る」
いまはすっかり周辺は住宅地になっているが、としまえんが開園したころにはほとんど何もない原っぱだった、ということだ。としまえんが開園し、そのアクセスのために鉄道が通り、そしてそれから周囲が住宅地として開発されていったというのが、おおよそのこの一帯の歴史ということだろうか。