2018年9月下旬、子育てサイト『ベビモフ』での取材で私は初めてりゅうちぇるに会った。80年代アメリカ映画風ファッションに身を包み、女性っぽい仕草や言葉づかいでハイテンションに場をかき乱すテレビのニュースター枠から、社会問題に対して若者の立場から意見を述べる文化人的な立ち位置へと世間の評価が変わっていった時期だったと思う。特にぺこりんと結婚、子どもを持ってからは既存の子育て観に鋭く切り込み、新しいジェンダーアイコン、イクメンアイコンとしてりゅうちぇるの発言は常にネットニュースとなっていた。最初に取材の話を聞いた時「よくスケジュールが押さえられたな」と思ったくらい、当時のりゅうちぇるは多忙を極めていた。
社会が自分を持ち上げることの戸惑いや恐怖を、りゅうちぇる自身はどう処理しているのか聞くと「ネットニュースになるのはいいけど……どうして盛れてない写真ばっかり使うの!?」と怒りながら笑っていた。私の質問一つ一つに、丁寧に言葉を選びながら、しかし迅速に答える。あまりに理論に隙がなくて、ちょっと怖さをおぼえたほどだ。インタビューの帰り道、編集者と「りゅうちぇるはきっとどんなビジネスをやっても成功するでしょうね……」と話したのを覚えている。りゅうちぇるの訃報を聞き、あらためてそのインタビュー原稿を読み返す。
何度も繰り返していた「自分らしく」という言葉
インタビュー中りゅうちぇるが何度も何度も繰り返していたのが「自分らしく」という言葉だった。
「自分たちを大事に、自分たちの生き方を大事に、人と比べず、『普通の人はこうしてるから』じゃなく『自分たちはこうしていこう』みたいな、だから言っちゃえば楽しちゃってるんですよ、自分たちが楽な生き方を選択してる。自分らしくい続けたからこそ僕はぺこりんとも出会えて、お仕事にもつながって、リンク(※お子さんの名前)とも出会えたから、自分らしくいつづけること、自分を大好きであることを大切にした方がいい。自分らしいパパとママが幸せそうに生きているところを子どもには見せたいんですよ。それは僕自身が『自分らしくいられなかった』時期を経験してるから余計にそう思うのかもしれないです」
「でも結局僕は自分らしくいつづけたからこそテレビに出れたわけだから、自分らしくいないとまず道が広がらないっていうのは潜在的に思ってます」
「自分らしくいつづける姿を背中で見せたいからこそ、うん、やっぱ僕強いのかもしんない」
「このままだと僕は一人になるなとも思った」と、本来好きなもの、したい振る舞いを抑え周囲に合わせて過ごしていた中学時代。「自分を偽ることによって自分は孤独じゃなくなるって思ってたんですね」。しかし「孤独になりたくなくて自分を偽ったはずなのに、僕ずっと孤独だったんですよ」。
その経験が「自分らしく生きる」ことへとりゅうちぇるを向けさせた。中学を卒業してすぐツイッターを始め、「プロフィールに『ちぇるちぇるランドの王子様りゅうちぇる』って書いて、自分の大好きなメイクとかバーッと載せたら高校の入学式までにもうフォロワーが増えてきた」。狭いリアルな空間で多数決の論理に傷つくより、インターネットの世界で味方、理解者を増やすことを選んだりゅうちぇる。「自分には居場所がないんだって思ってたけど、居場所は自分で探すものだ、作るものだってそのときに思いました」。自分らしく生きることで得た自信が今度はりゅうちぇるを東京、原宿へと向かわせ、のちに妻となるぺこりんと出会い、インフルエンサーとしての道を歩むようになる。