ラピダス株式会社取締役会長の東哲郎氏と、東京大学システムデザイン研究センター長の黒田忠広氏による「日の丸半導体を復活させる」を一部転載します(文藝春秋2023年8月号)。
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半導体はかつて日本の「お家芸」だった
——半導体と言ってもよく分からない方もいると思いますが、電気を伝える導体と、伝えない絶縁体、その真ん中にいるから、半・導体なんですね。この物質がパソコン、スマホ、液晶テレビ、自動車など、あらゆる製品に搭載され、今や71兆円の巨大市場を築いています。国家安全保障、軍事防衛、サプライチェーンなど、政治や経済の分野でも欠かせない存在になっている。半導体はかつて日本の「お家芸」とまで呼ばれ、一時は世界シェア53%、圧倒的にナンバーワンの時代があったんですね。
しかし、1990年代後半以降は、弱体化し、悲惨なほど負けに負け続けた。今はシェア10%にも満たないわけです。なぜ、そんな状況になってしまったのか。そして、今後、復活できるのか。今日は、東京エレクトロンを世界的な半導体装置メーカーにした東さんと、研究分野のキーマンである黒田先生に、お話しいただきたいと思います。
東 つい1週間前ですが、YouTubeで、ソニーの創業者である井深大さんが講演している、60年前の動画を見つけたんです。わが母校のICU(国際基督教大学)でね。井深さんは「セミコンダクター」(半導体)という言葉を使っていましたが、「現在、医学は頭脳や体の働きを解明するにはほど遠いが、いずれエレクトロニクスが人間の働きの多くを代替し、『アーティフィシャル・ブレイン』ができる時代が必ず来る」と予見しています。それは今、AIと呼ばれています。
井深さんのように大きな夢を持ってアプリケーションを作っていくことこそが、本来の日本人の遺伝子だと。日本の半導体復活の旗を掲げラピダスを立ち上げた者としては、勇気づけられました。
——半導体産業の起源を辿れば、1947年にアメリカのベル研究所で発見されたトランジスタの増幅作用をいち早く商品化し、トランジスタラジオを作ったのがソニーの井深さんでした。また、世界で初めて半導体のICチップ(集積回路)を使って電卓を作ったのも日本の早川電機、つまりシャープです。当時の日本には、そういうパワーが満ち溢れていたんですね。
一方で黒田先生は、かつて東芝の有名なエンジニアとして活躍されましたが、東芝もまたノートパソコンの世界チャンピオンとして十何年も君臨し、世界的に半導体の主導権を握った時代もありましたね。
黒田 私が入社したのが1982年です。ちょうどDRAM半導体の製造が世界1位だった時代。DRAMはパソコンなど電子機器の作業記憶用に用いられる半導体で、半導体メモリーの分野では最大の市場規模を形成していました。
当時の東芝には世界中の研究者や開発者が「次はどんな半導体メモリーを出すんだ?」「うちのシステムでも使いたいから教えてほしい」と“東芝詣で”に来ていた。その対応を、私のような28、9歳の若造がやっていたのですから、今振り返ると、世界一の製品を持つことの凄さを実感しますね。やはり当時は世界に注目される楽しさがあり、ワクワク感がありましたね。