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賽銭は何のために納めるか
この本をお読み頂いている方の中にも、同じように思われている方がおられるかもしれません。しかし、それは少し思い違いをされています。
お賽銭といいますのは、お願い事を叶えて貰うために前金として納めるものではありません。お賽銭とは、普段、色々な恩恵を頂いている事に対するお礼であったり、どうかこのお賽銭をお寺や、仏様のお役に立てて下さいという気持ちで納めるものです。ですから元来、お願い事をするものではないんです。
ご住職は、このような内容のお話を男性にされました。すると男性は、素直に頷かれたそうです。
「今になって、よくその事が分かった気がします。私の努力が足りなかった事を神様のせいにしていました」
「人事を尽くして天命を待つ」
男性は、冷たい女性の手に手首を握られた時、「自分で努力してくれ、俺に頼らないでくれ」と思われたらしいのです。しかしよく考えると、自分も同じ事を神仏にしていると気付かれたのです。
そして男性は、深々と頭を下げ、「今度は綺麗な心で、お参りに来させて頂きます」と言って、帰って行かれたそうです。
そして、その男性の姿に重なるように、もう一人薄っすらと透けたように、女性の姿が見てとれたと、ご住職は仰います。
男性が言っておられた女性かなと思って見ていると、この方もまた、ご住職に深々と頭を下げて、その場で消えられたそうなのです。
「人事を尽くして天命を待つ」
それが、今回のお話に出て来られた男性と女性に、神仏から贈られた大切な教えだったのかも知れません。