北極圏の街から
ランフェルトが北極圏に緯度3度まで迫るその街ウメオに入ったのは、1997年のことだ。
90年代は遺伝子工学の時代だった。その発展によってたとえば遺伝病であれば、遺伝子のどこに突然変異があるのかを突き止められるようになっていた。
アルツハイマー病でも、遺伝性のアルツハイマー病というのが全体の患者の1パーセント以下だが存在する。50パーセントの確率で突然変異は受け継がれ、受け継がれれば、若年で100パーセント、アルツハイマー病を発症する。
1992年にまず英国のジョン・ハーディが遺伝性のアルツハイマー病の一族のAPPというタンパク質をつくる遺伝子の中に突然変異を発見した。さらに1995年には、別の家系から、このAPPからアミロイドβというタンパク質を切り出す部分に、突然変異がみつかる。
これらの突然変異はいずれも、アミロイドβの産出を健康な人にくらべて過剰にするという働きをもっていたのである。
アルツハイマー病に特徴的な病変は神経細胞の外に付着する老人斑(アミロイド斑)と、その後に神経細胞内にできる糸くずのようなもの(これを神経原線維変化という)のふたつである。
アミロイドβの蓄積によってそれが固まってアミロイド斑となり、神経細胞に付着する。すると神経細胞内に、タウという物質が集積して神経原線維変化ができる。そうすると、神経細胞が死んで脱落する。
これがカスケード(小さな連なった滝)のようにしてアルツハイマー病がおこる、とするアミロイド・カスケード仮説が、遺伝性のアルツハイマー病の研究から導かれたちょうどその時期に、ランフェルトはオーロラの美しい、その北極圏の街に入ったことになる。
「私は看護助手と一緒に現地に入り、まず教会のチャーチブックでその一族のことを調べました。スウェーデンの教会にはチャーチブックというその教区の信者の代々の記録があります。そこには、生年、没年とともに、ひとりひとりの病歴や死因が記されているのです」(ランフェルト)
400年遡ることができるチャーチブックで調べると、その一族は、半数が若年でアルツハイマー病を発症していることがわかった。
そして一族の血液をとって調べると新たな突然変異がみつかった。これは「北極圏変異(Arctic Mutation)」と名づけられる。
この「北極圏変異」がおこすアルツハイマー病の病理は一風かわっていた。老人斑(アミロイド斑)が境界線のあるはっきりとしたものではなく、ぼやっとしているのだ。
ランフェルトはここでこんなことを考える。
APPから切り出されたアミロイドβはふたつみっつとくっついていき、そして百数十個つながると繊維状(フィブリル)になってアミロイド斑になる。
この「北極圏変異」の病変が示すのは、実は毒性は、繊維状になったアミロイド斑そのものではなく、繊維状になる前の水溶性の段階、プロトフィブリルにあるのではないか?
ランフェルトはウプサラ大学の同僚とともにバイオアークティック社をおこし、このプロトフィブリルを標的とした治療法を2000年に特許申請するのである。
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下山進氏の「アルツハイマー征服が現実に」全文は、「文藝春秋」2023年8月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
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