独自開発をあくまで指向
創薬というのは、安全性を確かめるフェーズ1、ある程度の数の患者でその薬の効き方を調べるフェーズ2、そして統計学的に有意な大規模集団で、プラセボ(偽薬)群と比較してその効用を調べるフェーズ3、この三段階の治験をへて、ようやく各国の規制当局に「承認申請」を出す。
「アリセプト」の場合でも、最初に化合物を化合して特許を申請してから、承認にいきつくまで10年かかっている。
その当時で、フェーズ3の費用は100億円はかかった。
だから日本の製薬会社は、フェーズ2まで行くと、フェーズ3は「導出」といって権利を売り、欧米のビッグファーマに治験を肩代わりしてもらうのが普通だった。
これは、導出の時点で100億円なりなにがしかの金を手にすることができるが、仮に治験がうまくいっても、ビッグファーマが販売権を手にするわけだから、売上はビッグファーマのものだ。
内藤は、まずここで、「アリセプト」については、「導出」をせず、フェーズ3をアメリカでもエーザイ単独でやったのである。
ここでリスクをとったことが、後の「レカネマブ」の成功につながる第一の鍵だ。
エーザイは、アメリカでファイザーの営業チームを使って「アリセプト」を売るが、しかし、売上はすべてエーザイに計上する、利益は折半という契約条件をファイザーにのませることに成功したのだった。
内藤晴夫本人が語る。
「導出して利益だけをもらうというやりかたではできないことができます。それは、その売上のなかから経費として、投資ができることです。アリセプトの売上によって米国法人をつくり、開発から販売までフルファンクションを米国市場で持つことができました」
エーザイは「アリセプト」の成功で2000年代に一気にグローバル化をとげる。
そしてこのグローバル市場でのプレゼンスが海外の様々な才能をひきつけ、「レカネマブ」へと結実していくのである。
一人は、スウェーデンの遺伝学者。そしていま一人は、インド出身の女性の統計学者。
まずはスウェーデン・ウプサラ大学のラース・ランフェルトの話から始めよう。