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 しかし、そこから『もののけ姫』の概略が定まるまではさらに時間がかかることになった。1993年末に初期設定版が絵本として出版され、1994年8月には具体的に企画準備がスタートした。

 このころ時代はさらに複雑な様相を見せていた。冷戦後新たな民族紛争が起きる一方で、日本ではバブル経済が崩壊し、資本主義に行き詰まりを感じる人が増えていた。また、1980年代に夢見られた、ある日、突然世界の終末が訪れるといったロマンも、リアリティを欠くようになっていた。このような時代と切り結ぶような物語とはどのようなものか。

 ながらくアイデアには初期設定版の影響が残っていたが、途中、CHAGE and ASKAのためのPV『On Your Mark』(1995年公開)を監督したことで宮崎の頭が切り替わる。1995年4月、新しい企画書にはこう書かれた。

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「中世の枠組みが崩壊し、近世へ移行する過程の混沌の時代室町期を、21世紀に向けての動乱期の今と重ねあわせて、いかなる時代にも変わらぬ人間の根源となるものを描く」

「阿修羅のような少女」と「呪いをかけられた少年」の物語へ

 そして主人公は「犬神に育てられ人間を憎む阿修羅のような少女」と「死の呪いをかけられた少年」と定められた。こうして『もののけ姫』という企画が本格的に動き始めることになった。

『もののけ姫』より。村を守るためにタタリ神を殺し、その代償として"死の呪い”を受けたアシタカ

 物語は、エミシの少年アシタカが、タタリ神と化したイノシシから呪いを受けるところから始まる。呪いのため村を去らなくてはならなくなったアシタカは、呪いの根源を求めて、西へと向かって旅立つ。

 西方の地へと到達したアシタカ。そこにはエボシ御前率いる製鉄集団がタタラ場を構え暮らしていた。製鉄のためには、神々が住まう森を伐採する必要がある。そのため、人の子でありながら山犬に育てられた少女サンは、このタタラ場と対立していた。もののけ姫と呼ばれるサンは、森の伐採をやめさせるため幾度となくタタラ場、そしてエボシ御前に戦いを挑んでくる。

『もののけ姫』より。刀の切っ先をエボシ御前に向けるサン

 タタラ場と森の関係性は、「文明と自然の対立」として理解されることが多い。だがこの対立は結果に過ぎない。『もののけ姫』で描かれたのは、産業の発展とともにより大規模に自然を収奪せざるを得ないという、「近代化」の風景なのである。

 タタラ場が「近代化」を体現しているのは同時に、産業の担い手という形で、外の社会では軽んじられがちな女性や病人などがひとりの人間として扱われていることからもわかる。近代化を推進するエボシ御前は、神々と対峙する罪をあえて引き受け、救済など求めない現代人として描かれている。