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 そして物語では、近代化の結果、神々の森は消えてしまい、人間の時代が始まる。「文明と自然の対立」といった現代にもなお起きている問題はこの時に始まったのであり、本作は近代化の始まりを、極めて寓話的に描き出した作品なのである。

なぜサンとアシタカは一緒に暮らさないのか?

 当然ながら近代化に端を発する様々な問題は容易に答えが出せるようなものではない。だから本作にはカタルシスのあるようなラストは存在しない。そのかわり次の3つの点を強調することで、時代の転換点——答えの出ない時代の到来を描き出した。

 ひとつは「不条理」。アシタカが呪いを受けたのは、アシタカ自身に原因があるわけではない。その時代に生きていたひとりの人間として、時代に巻き込まれた結果、呪いを受けてしまっただけなのだ。これは現代に生きる様々な人間にも起こりうることだ。

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 もうひとつは「不可逆」。中世から近世への転換の中で描かれた近代化はもとに戻ることのないプロセスである。神々の森は戻ることはないし、アシタカの受けた呪いがシシ神によって解かれたあとも、古傷のようになって腕に残ったままである。当時も現在も同じく、過去の幸福な時代へと戻るのは不可能なことである。

 そして最後は「未解決」。「不条理」で「不可逆」な状況から生まれる問題は、本質的な解決方法が存在しない。アシタカはタタラ場とサン、その両方の立場を理解しつつ、引き裂かれたまま生きていくしかないのである。

『もののけ姫』より。アシタカはサンに「サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう」と告げる

「不条理」「不可逆」「未解決」ということを伝えようとした時、心を解放するような飛行シーンは自然と封印せざるを得なくなる。これまでのジブリ作品では、エンドロールの時に、物語のその後を伝える映像がつけられていたが、本作はただの黒バックのままである。アシタカとサンの未来は、そのまま現代にいきる観客の未来であり、それは観客へと委ねられているのである。

 こうして『もののけ姫』は、「時代の転換点をえぐる」ことをやり遂げた。結果、異色の宮崎アニメとして完成したのである。

 そして「不条理」「不可逆」「未解決」を描いた内容だったからこそ、それを踏まえて「生きろ。」と訴えかけるキャッチコピーが見事にはまることになった。さらに1997年という、先の見通せない世紀末の時代の気分も重なり、本作は193億円(初回公開時)という歴史的大ヒットとなったのである。