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住宅地の間を抜けていくと、とたんに風景が一変して…

 引地川を渡ったその先も、一言でまとめれば住宅地。比較的歴史の浅そうなマンションも目立ち、学生街らしさとはだいぶかけ離れた風景である。

 慶應義塾大学の学生たちは、この町で日常を過ごしているというよりは、横浜やら藤沢やら、少し足を伸ばした街中の繁華街に繰り出すことのほうが多いのだろう。ちなみに、相鉄線が東急線に直通するようになって、日吉や三田といったキャンパスとも乗り換えなしで結ばれるようになっている。

 住宅地の間を抜けてゆくと、とたんに風景が一変する。おおよそ小田急線の線路と並行に、南北に走っている道を渡った先には、いすゞ自動車の大きな工場が見えてくるのだ。

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 このあたりまで、駅前から歩いてだいたい15分。走っているクルマはごく普通の乗用車ばかりでなく、大きなトラックが目立つようになる。いすゞ自動車の工場の脇にはリサイクルセンター(おおざっぱに言えばゴミ処理場である)や、中小の工場も建ち並ぶ。

 慶應義塾大学のキャンパスは、この工場群を抜けたさらに西にある。つまり、湘南台駅と湘南藤沢キャンパスの間に、この桐原工業団地という工場群が広がっているというわけだ。

小田急江ノ島線が開業した頃、「湘南台」は…

 工業団地の中にはいかにも不自然にその真ん中を貫く道がある。横須賀水道という、明治時代にはじまり大正時代に整備された横須賀市の上水道だ。

 実際には暗渠になっていて水の流れを見ることはできないが、100年以上にわたって横須賀の人々の飲み水を供給してきた水の道。小田急江ノ島線が通ったのは昭和の初めの1929年のことだから、工業団地を貫く横須賀水道のほうが歴史が古い。この水の道が、いまの湘南台エリアにおいてはいちばんの歴史を持っている施設ということになる。

 ただ、横須賀水道が通ったばかりの頃の湘南台エリアは、これといって何があるわけでもない田園地帯に過ぎなかった。1929年に小田急江ノ島線が開業したが、そのときには湘南台駅という駅も設けられていない。