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戦後20年もたった頃、ついに「湘南台」が開業

 さらに、このいすゞ自動車の工場の開設を受け、藤沢市は周囲に工業団地を開発することを決定する。それが今にも続き、引地川西側の工場群になっている。

 加えて周辺の区画整理も進められ、住宅地や商業地として生まれ変わってゆく。道路の拡幅や公園の設置など、少しずついまの湘南台駅の街が形作られていった。そして1966年、工場で働く人たちの通勤の便を図るため、湘南台駅が開業する。開業前までは、雑木林や畑が広がる、何もないところに新たに駅が生まれたのである。

 

「湘南台」という地名は、駅名に「湘南」を冠して欲しいという地元の人たちからの要望があったからだとか。1979年には正式に町名としても採用された(藤沢市内には他にも「湘南台」を称する町があったこともあり、住居表示としての「湘南台」実施は1984年)。

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 実際のところ、湘南台駅は“湘南”の言葉からイメージされる海とはだいぶ離れている。藤沢市内の町だから、れっきとした湘南エリアの一部であることは間違いないし、“台”からは内陸のニュータウンということも想像できる。だからまったく名前に偽りはないのだが、真夏の海を期待して湘南台にやってきたら、もうまったくそれは見当外れというほかない。

 ともあれ、まったくの田園地帯にいすゞ自動車の工場が現れ、それを契機に1960年代に工業団地、そして駅が生まれてさらに町は大きくなった。

 

 駅の存在感は大きく、周辺の人口増加に貢献することになる。農村だった時代には1000人程度の人口だったところが、1970年には4500人を超えた。駅のお客も、開業直後は2400人ほど(乗降人員)、それが1974年には6000人を突破した。

 1971年には東口に相鉄ローゼン(スーパーマーケット)ができ、1974年には小さな地上駅から橋上駅舎に衣替え。1976年に湘南台公園ができ……と、日本の経済成長と歩調を合わせて発展していった。