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 選手宿舎やトイレの整備などで新たな費用が発生することや、売上向上につながるのかどうかも不明ななか、当初開催に消極的な施行者もあったが、現在ではすべての競輪場でガールズケイリンが開催されている。

 公営競技界全体がこの頃から売上増加に転じたこともあるのだろうが、ガールズケイリンの成功には三連単車券の存在があると思われる。ガールズケイリンは選手層が薄いため、選手間の実力差が大きいレースとなることに加えて7車立てである。したがって1着は確実というレースが多い。三連単車券であれば、たとえ1・2着は堅くても3着以下は紛まぎれも生じるため車券的な妙味もそれなりにある。ガールズケイリン発足から10年、23年度からは新たに3つのG1競走が設けられ、レース体系の充実も進められている。

オートレースでは現在20名の女性レーサーが活躍中

 女子競輪復活の計画が進みつつあった頃、オートレースでも女性選手によるレースの導入がおこなわれた。

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 10年9月、オートレース選手養成所第31期生20名のなかに2人の女性が入っていた。1人は佐藤摩弥、もう1人は坂井宏朱だ。佐藤はモトクロスで活躍した選手だが、坂井は自動二輪免許すらもたない全くの素人だった。2人は翌年7月、44年ぶりの女性レーサーとしてデビューしたが、まことに残念なことに、坂井は12年1月レース後の走行練習中の事故で命を落としてしまう。「サトマヤ」の愛称でファンに親しまれる佐藤は16年には重賞の川口記念(GⅡ)でグレードレース初優勝を飾るなど、トップクラスの選手の1人として活躍を続けている。その後も女性レーサーは増え続け、22年末現在20名が活躍中だ。

 1996年、中央競馬で、細江純子、増沢(旧姓・牧原) 由貴子、田村真来の3人の女性騎手がデビューした。中央競馬では初の女性ジョッキーだった。2013年に増沢が引退して以来、16年に藤田菜七子がデビューするまで、中央競馬所属の女性騎手は不在となっていた。

女性選手・騎手は公営競技の活況の一端を担う存在に

 16年にデビューした藤田はこれまでの中央競馬の女性騎手を大きく上回る活躍を見せる。デビューの16年に7勝をあげ、19年には通算100勝(地方競馬での騎乗を含む)を達成し、22年末までに通算157勝をあげている。また22年3月初騎乗の今村聖奈は22年だけで55勝をあげる活躍をみせ、今後が大いに期待されている。

 中央競馬では長らく女性ジョッキー不在だったが、地方競馬では少数ながらも女性騎手は存在し続けた。1987年から95年まで益田競馬場に在籍し通算350勝をあげた吉岡牧子や、その記録を塗り替え続けている宮下瞳といった名騎手がいる。女性調教師も存在している。

 23年4月1日現在、地方競馬には11人の女性騎手がいる(うち2人はばんえい競馬)。

 女性選手・騎手の活躍は現在の公営競技の活況の一端を担っている。