馬だけではなく、人間の方も深刻な人手不足になっている。北海道では牧場でも門別競馬場の廐舎でもインド人を中心とする外国人労働者がいないと成り立たない状況になっている。
全国の地方競馬の廐舎でも外国人廐務員が増えている。
地方競馬V字回復の理由
地方競馬のV字回復には1990年代半ばに実現した中央競馬との交流が大きく寄与している。
中央競馬と地方競馬交流競走が最初におこなわれたのは73年の中央競馬での地方競馬招待競走だった。翌74年に大井で中央競馬招待競走がおこなわれ、86年からは中央競馬のオールカマー競走と大井の帝王賞が招待競走となったが、その後長らく交流が広がることはなかった。
95年、JRAは地方競馬所属馬に皐月賞やダービーといった伝統あるGⅠ競走に出走する道を開いた。競馬界ではこの1995年を「交流元年」とよぶ。笠松競馬所属の牝馬ライデンリーダーが桜花賞・オークスに出走を果たし大きな話題となった。
地方競馬に見向きもしなかったファンが中央競馬の有力馬が出走する交流重賞の馬券を買うようになり、売上低迷にあえぐ地方競馬のカンフル剤にはなったが、この段階では売上の低下を食い止めるまでには至っていない。
ファン層の取り込みに成功し、地方競馬の売り上げが回復
2012年10月、JRAはIPAT(インターネット投票)で地方競馬のレースの発売を開始し、さらに翌13年から地方競馬主催者が中央競馬の馬券発売を受託するJ‐PLACEが発足する。中央競馬の巨大な市場が地方競馬に開放された。
この10年ほどの地方競馬のV字回復は、IPATによる売上の開放が大きく寄与している。ネット投票を主体とする電話投票は21年度の地方競馬の売上額の9割を超えた。発売企業別にみると、SPAT4が44.8パーセントでシェアが最も高く、以下、楽天競馬18.9パーセント、JRAのネット投票15.6パーセント、オッズパーク12.1パーセントとなっている。中央競馬のファン層の取り込みに地方競馬が成功したといえよう。