暴走族雑誌『ティーンズロード』に出演したことがきっかけで、ついにはCD&芸能界デビュー。1990年代、女暴走族のカリスマとして君臨したかおりさんの人生にクローズアップ。バラエティ番組『笑っていいとも』に出演した際、あわやケンカになりかけた出来事と、それを制止した「タモリさんの一言」とはいったい……?
かおりさんによる初の著書『「いつ死んでもいい」本気で思ってた・・・』(大洋図書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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初代鬼風刃デビュー
「かおりちゃん、CDを出してみないかって話が来てるんだけど」
女族(かおりさんが2代目総長を務めたレディース)を引退して間もなく、『ティーンズロード』編集長のKさんからこんなお話がきた。
「え! なにそれ? 歌、下手だよ私」
全国のレディースを5人集めてCDデビューするというお話だった。
(私の歌聞いたことないのに、大胆だな……)
そんなことを思いつつも、それまで雑誌、TVに出てきて芸能界に興味を持ちはじめていた私は、二つ返事でOKした。
メンバーとの初顔合わせの日、緊張と興奮で胸が高鳴った。
メンバーは私を含めて5人。
秋田のじゅり、岩手のゆうこ、三重のえみ、京都のさちこ。そして私、栃木のかおり。
それぞれが『ティーンズロード』で名を馳せていた総長や副総長だ。
(いくら元とはいえ、レディースの頭張ってた者同士が集まったらケンカになるでしょう!)
本気でそう思った。
20人くらい入るレコード会社の会議室で私たちは初対面した。
「北関東硬派連盟貴族院・女族の2代目総長かおり。よろしく」