ラストシーンで主人公が見たものとは?
宮崎にとってこの映画を作った意味はどこにあったのだろう? 単なるマザー・コンプレックスの告白に過ぎなかったのだろうか?
違う。私は、この映画は、宮崎が「少年の物語」を真正面から描きたかったのだ、と思っている。宮崎アニメにおける『君たちはどう生きるか』の達成は、まさにここにある。
インコが蔓延るイメージの世界を、最後に破壊できるのは自分しかいない、と宮崎はきっと分かっている。だからこそ自分自身の手で、母性に憧れる少年の物語を描き出したのだ。本作の終盤、ヒミは眞人にこう告げる。
「私、きみを産むんだよ! 楽しみじゃない?」
そうヒロインに唱えさせることは、母性にすべてを託そうとする少年たちの、願望そのものである。
宮崎駿はきっと地獄にアニメーションを持っていくのだろう。お母さんみたいなヒロインがいてほしい、という少年たちの願望をほかならぬ自分自身が叶えていたことを、彼は誰よりも知っている。
ラストシーン、眞人はポケットの中をちらっと見る。おそらくそこにはイメージの世界から持ち帰った石が入っているのだろう。そう、眞人は母と決別なんてしない。失われた母を、そのまま連れて、成長する。母への思慕を消さないまま、眞人は生きることに決める。
それはまさに、飛行機が血塗られた夢であると知りながらも、その美しさに魅せられた罪を負って生きることを決めたのと同様だ。父を拒絶し、母を求める夢を描き続ける人生を、宮崎は選ぶ。正しさばかりを求めるインコたちとは対照的に。
それが罪悪感を伴うものであったとしても、イデオロギーとしては否定されるべきものであることを知りながらも、宮崎は、美しい夢を造り続けるのだ。
『君たちはどう生きるか』は、その覚悟を描いた物語だった。
(※)宮崎駿監督の崎はたつさき
(※1)鈴木敏夫は宮崎駿がミリタリーオタクであることについて以下のように言及する。
「昔から宮さんは、何かというといつも戦闘機や戦車の絵を描いていました。アトリエの本棚には戦争にまつわる本や資料が大量に並んでいて、兵器に関する知識は専門家も顔負けです。その一方で、思想的には徹底した平和主義者で、若い頃からデモに参加して『戦争反対!』と叫んできた。大矛盾ですよね」(鈴木敏夫『天才の思考』文春新書、2019年)
(※2)詳しくは拙著『女の子の謎を解く』(笠間書院、2021年)で論じている。