眞人をイメージの世界に連れ込んだのもまた、「鳥」である。そう、縦横無尽に空を飛び、肉を食らおうとする鳥。アオサギなのだった。私は、このアオサギというキャラクターがこの映画のいちばん興味深いところを引き出していると感じている。
アオサギは現実世界において極めて魅力的な体躯を持つ鳥なのだ。獲物を丸呑みし、眞人をイメージの世界に誘惑する、「飛ぶことのできる」鳥。それは自分がどこにも行けない、行けと言われた場所にしか行けない眞人にとって、羨望し、願望を刺激してくる存在だった。
だがアオサギは、イメージの世界に入った途端、単なる小さいおじさんのキャラクターに変化する。なぜアオサギは、イメージの世界で姿を変えてしまったのか? そこにはある答えが存在する。
「もっと深く」「一気に突く」ーー母との“初体験”のやりとり
アオサギが眞人をイメージの世界へ招き入れた誘い文句は、「お母さんを探してみないか?」だったが、本作に眞人の「母」は3人登場する。
ひとりめは、実母の妹であり、父と再婚して眞人の義母となるナツコ。ふたりめは、イメージの世界で母代わりとしてごはんを食べさせてくれ、船を漕いでくれるキリコ。そして実母でありながら、イメージの世界でともに旅をするヒロインでもある、ヒミだ。
全員、眞人にとっては「母」のポジションを担ってくれる存在なのである。
そしてここが重要な点なのだが、眞人は、彼女たちの境界を少しずつ曖昧にする。たとえばナツコを助けようとする場面で、眞人はナツコのことを「ナツコさん」と呼びながら同時に「お母さん」と呼ぶ。あるいは、ヒミのことを「実の母」であると知りながら、初恋の相手のようにも接する。
キリコは、明確な血のつながりは示唆されていない。だが、明らかにキリコとのやりとりには、初体験のメタファーが登場する。キリコが眞人に魚のさばき方を教えるシーンでの、「もっと深く」「一気に突く」という発言。そしてキリコとさばいた魚は、ワラワラたちの栄養になる。――ここにあるのは人間同士がセックスして子供が生まれる過程そのものだ。
彼女たちのキャラクターは、往年のジブリ映画のヒロイン像と一致する。美しく、家事ができて、そして主人公を異世界に旅させてくれる。そして彼女たちは実は母の表象だったのだ、ということを、本作で宮崎は打ち明ける。