女性誌からの紹介に続いて、児童誌からも一つ紹介しておきましょう。《仲ヨシ部隊突貫双六》は、同じく1939年1月発行の『小学一年生』新年号の付録としてつけられた双六です。イラストを手掛けたのは童画の大家でもある河目悌二先生。数多くの児童書挿絵を手掛けられた先生の作品だけあって、どのマスを見ても、当時の子供たちの活き活きとした姿が柔和な筆遣いによって描かれています。子供たちの笑顔も、どことなく自然体に見えますね。
一方で、あがりをご覧になってみてください。軍人が闊歩する皇居正門を背景に、横一列に並んだ子供たちはどこか神妙な面持ちをしている。他の河目先生作品ではなかなかお目にかかれない表情の子供たちですが、それも仕方がない話なんです。本作のテーマはズバリ子供による戦争協力。あがりに描かれる光景も、子供達に対する「君たち一人一人の行動が戦争に繋がっているのですよ」というメッセージとしてデザインされていますから。
戦時中の日本社会は二分されていました。一つは軍人が戦う戦闘地域、即ち“前線”。もう一つは出兵しない者たちが残されている非戦闘地域、即ち“銃後”です。“銃後”とは、ようは国家における日常生活の全てを意味する言葉。国民へ戦争協力を促すため、「兵隊さんたちが戦っている今、銃の後ろで暮らしている君たちも、場所は違えど同じ戦争を戦っているのだよ」という訓話を、当時の日本政府は盛んに繰り返していたのです。
お父さんやお兄さんが戦場にいる今も、君だって一緒に戦うことが出来る……。本作は、子供たちに模範的な“銃後”の精神を養ってもらうべく、戦場における突貫部隊に代わって日常生活で突貫部隊として戦う術を双六にした教育的ゲームです。まずふりだしから見てみましょう。最初に描かれているのは仲良し部隊の結成。「僕らは銃後の小学生、御国のために、さぁ突貫だ!」と、非常に勇ましいメッセージが書かれていますね。
たった13マスの小規模な双六、ギミックも進む・戻る・一回休むしかない単純な作品ですが、込められたメッセージは十二分に遊び手に伝わる構成になっています。「御国のために廃物を利用しましょう」と近所のおばさんに突貫、「御国のために倹約しましょう」と郵便貯金に突貫、「御国のために献納しましょう」と軍部に突貫。こうした日常生活の積み重ねの先にあるのが、あがりに描かれた御国を背に立つ立派な子供たちの姿というわけですよ。
戦争初期の双六にはなかった「バウクウガウ」が登場
出元不明の作品では《コドモトナリグミ双六》というもう少し高学年向けのゲームも存在します。「隣組」とは第二次大戦中に整備された官製組織で、物資の供出から避難訓練まで、かつては日本全国あらゆる家庭が参加していた町内会の戦時体制機能のこと。本作も《仲ヨシ部隊突貫双六》と同じく、「大人たちのやっている戦争協力を、君たちも子供版でやりましょう!」と説いた子供版隣組の運営をテーマとする作品です。
マスを見ていくと似通っているイベントも多くありますね。廃品回収、慰問袋作り、子守り。いずれも、戦時下の日本で好ましいとされていた子供たちのあるべき姿です。
一方で1939年に作られた《仲ヨシ部隊突貫双六》では見られなかったイベントも描かれています。例えば11マス目で子供たちが一生懸命掘っているのは、防空壕。17マス目で子供たちが木から見張っているのは、B25もしくはB29と思われる3つの影。
太平洋戦争における日本本土空襲は1942年4月から始まりました。同じ“戦前”のゲームを比較しても、子供たちに求められる役割は戦況と共に変わっていった、ということです。