突貫部隊にせよ隣組にせよ、戦争協力行為を子供たちに模倣させるという考えは、現代人にはグロテスクに感じられるかもしれません。今でもミリタリ系のゲームは数多くありますが、現実の戦争に関わるアレコレを子供たちに向けて「日常生活でマネしなさい」と説教するような作品はほとんど存在しないでしょうからね。しかし、これを語る上ではまず“戦前”と“戦後”とで「軍人」観が違うことに留意しなくてはいけません。
かつては日本にも、軍人が“物語の中のヒーロー”だった時代が確かに存在していたのです。それはスーパーヒーローやアスリート、アイドル、はたまた侍や漫画のキャラクターのように、軍人が子供たちにとって定番の憧れの存在だった時代があったということ。何故こうも強く断言できるかと言えば、当然、そういうゲームを私が遊んだことがあるから。20世紀に至るまでの長い歴史、人々が戦争をテーマに大量のゲームを作ってきたからです。
“戦後”の人間の目には軍国主義が生んだ突然変異種にも見えるであろうプロパガンダゲームも、“戦前”の人間の目には世に出るだけの文脈があります。1895年、日清戦争に勝利し憲政史上初めて戦勝国となった日本では、これを祝うため数々の戦勝記念品が作られました。「異国を相手に戦った軍人達の冒険譚を味わいたい」……。そんな顧客向けに、明治期日本で戦争をテーマに多くの双六が作られたのは、想像も難しくないでしょう?
続く日露戦争でも日本は大国ロシア相手に勝利し、当然多くの戦勝双六が作られました。続く第一次世界大戦ではドイツの中国植民地攻撃に参加したのみにもかかわらず、結局いくつもの戦勝双六が作られ今もコレクターの間で取引されています。こうして戦争の冒険譚に日頃から遊びを通して触れていた“戦前”の人々にとっては、プロパガンダに利用されたゲーム達もまた、これまでの日常と地続きの定番商品にすぎなかったと言えるわけです。
山縣有朋のメンコは「七百万億兆点」
子供たちの遊びだって大きくは変わりません。それが一番感じられるのは……《メンコ》ですね。明治期から登場した紙メンコは長らく日本の子供たちから愛されてきたゲームであり、現代で言うところのトレーディングカードのような存在でもありました。描かれているのは戦国武将に昔話の主人公、俳優にスポーツ選手。いずれも当時の子供たちに人気があったであろうキャラクターですが、中でも数多く残されているのは軍人のメンコです。
当時は知名度も抜群だったでしょう、日露戦争で奉天会戦を指揮したことで知られる陸軍大将黒木為楨、六万兆点。第三代内閣総理大臣も務めた山縣有朋、陸軍大将兼参謀総長だった時期を考えると日露戦争期に作られたものだと考えられます、七百万億兆点。ちなみに先の画像で源義経と弁慶も紹介してますが、作られた時期に違いがあると言っても彼らで八十四億点と二万三千点なんだから、軍人の評価の高さたるやですよ。
勿論敵国の軍人も数は少ないですが作られています。第一次大戦時に中国植民地の提督を務めたドイツ軍中将トロッペル。変わり種では日露戦争講和全権大使を務めた小村寿太郎&セルゲイ・Y・ウィッテのコンビメンコなんかもあります。今でこそ大人向けですら重々しく感じる面々ですが、「五千万億兆点!」みたいな子供のノリだけは変わっていないところに、現代とは異なる価値観と現代にも通じる空気感を感じられるのではないでしょうか。
結論から言えば、軍人は“物語の中のヒーロー”ではありませんでした。正確に言えば今でも軍人は世界中で“物語の中のヒーロー”でありつづけていますが、今ではそれ以上に、“両親であり、兄弟であり、その辺の人々”であるということがよく知られるようになった、と言った方が正しいかもしれません。
「軍人もまた、人である」失礼ながらこれを読んでいる皆さんだって、大半の方はまだこの意識を完全に持っているわけではないでしょう。
「あ、この手の記事によくある無理矢理読者を説教するやつだな」と思った貴方。
じゃあ聞かせてもらいますが、ここまで読んで一回でも不満に思いましたか。これまで紹介されているゲームは“銃後”のものばかりで“前線”のものが一つもないことを。
「軍人だって人なんだから、“前線”でだってゲームは遊ばれているはずなのに!」って。
後編に続く