本記事は、主に大日本帝国統治下(1889年~1947年)の日本で作られたゲーム15作品のレビューを通じ、当時のゲームシーンを解説するものです。レビュー記事である制約上、紹介されるゲームも基本的に自分の手で遊んだ作品のみになります、ご了承ください。

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 突然ですが、皆さんにクイズです。

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 問題「第二次大戦中、大政翼賛会の指導を経て出版を許可されたゲームの中には、脱衣要素が含まれるゲームも存在する」、〇か×か。

 ……まぁ、こんな聞き方をすれば答えは分かりきったようなものだとは思いますが、正解は〇です。ただし、それが大政翼賛会自身が発行していたゲームであることまでは想像しなかった人の方が多いんじゃないでしょうか。

「ココへ来タ人ハ身ニツイテ居ル衣類ヲ一ツヌグコト」

 ゲームの名前は《翼賛双六》。大政翼賛会自身の宣伝のために作られたプロパガンダゲームでした。脱衣要素があるのは23マス目……とは言っても、下心で服を脱がせようって話じゃありません。「木炭の配給があって身体も温まったので一枚服を脱ぎましょう!」っていう、当時としてはむしろご褒美的な意味合いを持つマスだったんですが。

 実は先日Twitterでこれと同じクイズを出したのですが、その中にいくつか面白い反応があったので、レビューを始める前に是非紹介しておきたいなと思いまして。

「戦前の人はこれを面白いと思ってやっていたのか?」

「戦前の人はこれを不謹慎とは思わなかったのか?」

「現代より厳しかったはずの戦前の検閲は何故これを許したんだ?」

 皆さん、過去と現在のゲームの違いに“戦前”と“戦後”の違いが見えた、らしいんですよ。

1939年に考案されたジョークの数々

 “戦前”。この近くて遠い時代が過ぎ去ってから、実に78年もの時が経ちました。日本社会が持つ時代への記憶も刻一刻と薄れつつあります。現代とは異なる価値観の時代だったことは知っている、だが実際にどんな空気感の時代だったのかは想像が難しい。ましてやどんなゲームが遊ばれていたかだなんて、見当もつかないのが普通でしょう。

「興味が湧いたら、ぜひ皆さんも遊んでみてくださいね」

 しかし、考えてもみてください。例えばNintendo Switchを作っている任天堂、創業は1889年です。子供向けゲームを多数展開している小学館、創業は1922年。その経歴を考えれば戦時中だって何かしらのゲームを作っていてもおかしくはない。……そして実際、彼らも戦時中はプロパガンダゲームを作らされていました。それも一つや二つではなく。

 史料を読んでも史跡を見ても、過ぎ去った時代の空気感を体験することは難しい。ただ世の中には、当時の人と殆ど同じ体験をできる手段がまだ僅かながら残されています。そう、「ゲーム」ですよ。英霊への黙祷を強制されるゲームから、子供に隣組制度の仕組みを刷り込むゲームまで。ゲームなら今なお当時と全く同じルールで遊ぶことができる。

 改めましてですが、本記事は大日本帝国統治下(1889年~1947年)の日本で作られたゲームのレビューを通じ、当時のゲームシーンを解説するものです。そしてゲームレビューである以上、まず最初にこう言わせてください。

「興味が湧いたら、ぜひ皆さんも遊んでみてくださいね」

 では、さっそく始めていきましょうか。