“軍国主義によって生み出されたゲーム”があれば、一方で“軍国主義が消し去ろうとしたゲーム”もあります。
戦前日本における“軍国主義が消し去ろうとしたゲーム”の代表格、それは皆さんもご存じのカルタです。小倉百人一首という日本古来の文学を扱うカルタは、明治・大正期から愛国的な遊びとして受け入れられ、1900年ごろからは競技化も進み大きな盛り上がりを見せていました。しかし第二次大戦期に突入すると、今度は「国家の非常時にやることか」と競技会が中止に追い込まれるようになったのです。
初期の頃には「百人一首の札には天皇の絵が描かれており不敬である!」と文句をつけられたため、「御簾隠れ」という簾がかかって皇族の姿が見えないようになっているカルタを作って誤魔化したりもしていました。が、皆さんご想像の通り軍国主義はそんな小手先で誤魔化し続けられるものではなく、「国難に色恋の句で遊んでいる場合か!」と難癖をつけられるようになり、次第にカルタに対する社会の目は厳しくなっていきました。
小倉百人一首に代わる新ブランドが開発された
洋の東西は問いません。「国家の非常時にやることか」と責められた娯楽は、「国家の非常時にこそやるべきなのです」と弁明をしなければ、いずれは社会に存在することすら許されなくなる。勿論日本におけるカルタも同様の手段での生き残りを図り、七百年の歴史を誇る小倉百人一首に代わる新ブランド開発をたった数年足らずで行うことを余儀なくされました。そして、実際に、それは成し遂げられたのです。
《愛国百人一首》は1942年発行。情報局認定、日本文学報国会選定、毎日新聞社協力、陸軍・海軍・文部省・大政翼賛会・日本放送協会後援と錚々たる面子で作られた新たなる異種百人一首です。本記事では最初期に製品化を果たした山内任天堂(現在の任天堂)版を使用していますが、児童文化協会版や田村将軍堂版など、当時はカルタメーカーならどこでも作っているような一般的なゲームでした。