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 “戦前”と“戦後”のゲームの比較に当たり、まずは先に名前を挙げた《翼賛双六》からご紹介しておきましょう。本作のリリースは1940年12月28日、製作は新日本漫画家協会、同年10月に発足した大政翼賛会の宣伝を目的に作られたプロパガンダゲームでした。

《翼賛双六》当時の定価である廿銭(20銭)は雑誌一冊より少し割高な価格設定  

 実質的に本作を生み出したとも言える大政翼賛会は、戦中のプロパガンダを一手に担った一党独裁の巨大政治結社で……みたいな説明をしだすとキリがありませんので、ここではあくまでゲームレビューとしての説明に留めておきます。一言で言えば、ゲームの作り手として見た大政翼賛会は、社内がグダグダな癖に下請けには高圧的な大企業のような存在でした。

ゲームボード右肩には「大政翼賛会指導」の但し書きが

大政翼賛会は、突如現れた大型顧客だった

 そもそもこの翼賛双六、実は大政翼賛会の手がけた『翼賛一家』という漫画作品を原作としたキャラクターゲームです。1939年9月にドイツがポーランドに侵攻すると、日本国内でもドイツに倣った一党独裁体制が求められるようになりました。結果として、当時非合法であった一部政党を除く全政党が合流し唯一の政党「大政翼賛会」が作られたのですが、この動きにいち早く目を付けたのが当時の若手漫画家たちだったのです。

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傷病兵の慰問や隣組の組長など、当時の国民生活が垣間見えるマスも

 “戦後”の我々からすれば悪しき洗脳機関である大政翼賛会も、“戦前”の人々からしてみれば突如現れた大型顧客だったであろうことは否めません。なにせ戦中日本のプロパガンダと言えば、ラジオ、新聞、舞台や玩具に至るまで手広く展開されていた一大プロジェクト。これは現代的に言えば、複数のメディアに同時展開する超巨大なコンテンツ産業に他ならない。大規模資本に庶民が頭を下げるしかないのは、今も昔も変わりませんから。

印刷を請け負った陸軍美術協会は、陸軍情報部指導の下で従軍画家による戦争絵画での広報を行っていた外郭団体