皆さんはKGKというゲームメーカーをご存じでしょうか。KGKは第二次世界大戦当時「皇軍慰問品」と呼ばれるジャンルの商品を多く作っていたことで知られるメーカーです。皇軍慰問とは“前線”で戦う兵士のために銃後の家族が支援物資を送る制度で、先の記事で紹介した双六のマスにも慰問袋作りが何度も登場していましたね。言わばこのメーカー、戦地の兵士が遊ぶ“前線”向けのゲーム会社だったわけです。

KGKのロゴ

 慰問品として送られていたものの中では、本、煙草、お菓子、はたまた美女の写真などが人気だったようですが、僅かながらゲームや玩具類も入っていました。戦地に送るための製品であってどれもコンパクトにまとめられているのが特徴で、旅先で遊べるポケットタイプの現代のボードゲームなどにも通じる意匠が凝らされている作品が多く、耐久性で見ても、携行性で見ても、実用品として優れた作品が多く残されているんです。

昭和14年5月の阪急百貨店のカタログ掲載の慰問品の広告

 早速そうした“前線”向けのゲームを紹介する……、その前に。まずは比較として、彼らが同時期“銃後”向けに作っていたゲームを一つ紹介させてください。

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《大東亜》

 その名も《大東亜》! 現代のボードゲームにも近い外観を備えた作品です。紅白の縁取りからゲームボードのイラスト、コンポーネントの頑丈さまで、実際どれも当時の基準とは一線を画す品質なんです。古典的ゲームの書き換え作品が主流だった当時の日本製ボードゲームでは珍しく、ゲームの世界観がしっかりと設定され、その世界観に合わせた独自のメカニズムを織り込んでいるところも本作の目を見張る点でしょう。

《大東亜》のゲームボード裏、遊び方

「面白い知育玩具」の自称は伊達じゃない

 せっかくなので、ゲームの空気感に浸るためにも実際の説明書を読んでみましょうか。「一つ、この遊びは大東亜共栄圏の地理物産を少国民に、認識せしむる為め作られた面白い知育玩具であります」。

 大東亜共栄圏は……今更説明する必要もありませんね。東アジア及び東南アジアを一つの経済共同体とみなし新秩序成立を目指す、第二次大戦期の日本の外交方針の主軸であり、第二次大戦参戦の大義名分の一つとなった構想です。

現実の”前線”は1941年12月16日ボルネオ上陸、1942年2月9日セレベス占領、1942年5月7日フィリピン占領の順に進んだ

 本作《大東亜》は、マスに描かれたアジア各地の“前線”を巡り、最初に15種類の資源を集めたプレイヤーが勝利となる教育的な貿易ゲーム。またそうであると同時に、“銃後”で暮らす国民に向け、大東亜共栄圏の各地にどれほど豊富な資源物産があり、なぜ日本は大東亜共栄圏の各地で戦わなければならないのかを説く、大変に教育的なプロパガンダゲームでもありました。

現実の“前線”では、スマトラの石油は妨害工作や輸送手段不足により満足に活かすことはできず、ジャワの砂糖は日本軍の指導により軍需米などへの転換が進められた

 ゲームボードはモノポリーにも似ていますが、ゲームルールは全く別物。ジャンルとしてはむしろ神経衰弱などのメモリーゲームに近いかもしれません。スマトラであれば石油、ジャワであれば砂糖といった具合に、大東亜共栄圏各地はそれぞれ個別の重要資源を持っています。プレイヤーは他のプレイヤーがどのマスに止まったのか、どのプレイヤーと手札を交換したかを記憶しておき、互いに互いの手札を読みあって必要物資を集めるのです。

現実の“前線”は大東亜共栄圏全域に広がることはなく、インドやオーストラリアに到達しかけたところで攻勢限界を迎えた

「面白い知育玩具」と自称しているのも伊達じゃありません。作品としての作りは豪華で、製品としてもしっかりしており、商品として抑えるべき仕様は抑えられている。教材としても分かりやすく、ゲームとして楽しく、そしてなによりプロパガンダとして嫌というほどメッセージとゲームデザインが綺麗に一本の線で繋がっている。

 メッセージというか、プロパガンダというか。正直ここまで来るともう演説の方が近いようにも思えます。遊んでいると聞こえてこないタイミングが無いんですから。「いかにこの戦争が必要なものか、貴方にも分かりますね」って主張が、全く隠されもせずね。