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息子にしてあげたかったこと

 子供たちに慰(なぐさ)められて背中を押してもらう。いつもそうでした。

 ぼくがまだ現役だったころ、長男は遊んでもらいたい盛りだったはずなのに、いつもぼくの怪我の心配をしてくれていました。幼稚園で七夕の短冊に願いごとを書いたとき、「パパの怪我が早くよくなりますように」と、自分のことよりもぼくのことを願ってくれました。

 引退試合のとき、最後にホームランを見せてあげられなかったことが申し訳なくてぼくは息子たちの前で泣いていました。そうしたらまだ6歳だった長男がぼくを抱きしめて、慰めるようにポンポンと背中を叩いてくれました。

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 そんな息子にもっとやってあげられることがあったんじゃないかと今では思います。

 あれはいつだったか。

 薬物に溺(おぼ)れていた時期、ぼくが家に帰るとテーブルの上に長男が書いた日記のようなものがさりげなく置いてあったんです。

『夏休みにはお父さんにいっぱい野球を教えてもらいたいと思います』

 おそらく学校で提出したもののようでしたが、元妻の亜希がぼくにわかるように置いておいてくれたのだと思うんです。

 でもあのころのぼくは、大切な息子の願いよりも薬物を優先してしまいました。息子をかえりみることなく闇の世界にはまり込んでいたんです。

 もちろん、すごく大切に思っていました。息子の願いなら何でも叶えてあげたいと思っていました。でも薬物はそういう気持ちに関係なく、優先順位を狂わせていくんです。

 別居。離婚。そして逮捕。

 思春期ですから、ずいぶん悩んだと思います。父親を恨(うら)んだと思います。

 そんなぼくに向かって「大丈夫だよ」と笑ってくれた。

 もうそれだけで胸がいっぱいでした。

覚せい剤取締法違反で逮捕されたときの清原和博氏 ©文藝春秋

再会の場を設けてくれた元妻

 息子たちとの再会はぼくにとって、神様がくれた奇跡のようなものでした。

 2019年の2月ごろ、ぼくの弁護士さんが亜希に連絡をしてくれました。

 ぼくが今、どういう生活をしていて、どんな努力をしていて、家族にどういう気持ちを持っているのか。それを伝えるためでした。亜希は断わることもできたはずなんですが、弁護士さんと会って話を聞いてくれたそうです。

 離婚したばかりのころは、弁護士さん同士が会うだけでした。そこから息子の写真を数枚もらえるようになって、時間をかけて自分の回復ぶりを知らせていきました。そしてようやく弁護士さんと亜希が会う段階までこぎつけたんです。

 そのころ次男が野球について悩んでいて、「だれかに相談したい」と漏(も)らしていたそうです。それを聞いた長男が「それならアパッチしかいないだろう」と言ってくれたらしいんです。

 ぼくの様子を弁護士さんから聞いていた亜希は、そうした息子たちのやりとりを見ていて、再会の場を設けることを決心してくれたんです。