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 ほんとうに突然のことでした。

 弁護士さんからそれを聞いたときは、信じられないような気持ちでした。もう一生、息子たちには会えないと思っていましたから。あれだけのことをしてしまって、ぼくが死んだらせめて葬式にはきてくれるかな……とか、そういうことばかり考えていましたから。

 不思議なのは息子たちに会えることが決まって、まもなくお母さんが亡くなったことです。何か使命を果たして力尽きたみたいに……。

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 ああ、これはお母さんの置き土産(みやげ)かなって……、これは偶然ではないなと感じました。お母さんはいつもぼくが生きていく道のずっと先を見通していましたから。

 

キャッチボールは涙がにじんで…

 再会の日、ぼくたちは久しぶりに3人でキャッチボールをしました。

 ぼくは目に涙がにじんでほとんどボールが見えませんでした。グラブに伝わってくる感触は痛いくらいで、息子たちがいつのまにこんな強いボールを投げるようになったのかと思うとまた泣けてきました。逆にぼくは肩がボロボロで、ほとんどまともなボールを投げられませんでした。

 逮捕されてから4年のうち、最初の2年間はほとんど寝たきりの生活でした。野球の動きというのはまったくと言っていいほどやっていなかったですし、薬物の後遺症で目もぼやけていましたから、そういう自分が恨めしかったです。息子たちの成長と自分の衰えでうれしいやら悲しいやら……、そんな気持ちでした。

 そのときに思い出したのは、ぼくがPL学園にいく前にお父さんと最後にキャッチボールをしたときのことです。ぼくが本気で投げるとお父さんが「もうお前のボールは捕れないよ」と言った場面を、なぜかすごくよく覚えているんです。

©文藝春秋

 息子たちとキャッチボールをしていて、そういう順番がぼくにもやってきたのかなと思ったり、いやまだまだ父親として見せてやれるものがないといけないとも思ったり、複雑な気持ちでした。

 そのあと3人でバッティング練習をしました。

 中学生の次男は都内でも有名な強豪チームに入っています。親のぼくが言うのもなんですが、小さいころからバッティングに関してはすごいものを持っていました。ただ中学に入ってからはかなり悩んでいたようで、その日、ぼくがスイングを見るという約束だったんです。