2016年5月31日。覚せい剤取締法違反によって有罪判決を受けた清原和博氏。清原氏は執行猶予期間中、薬物依存症やうつ病に苦しみ、自殺願望を抱え、もがき続けていたという。いったい彼は、どのようにして苦痛と向き合いながら生活していたのだろうか?
ここでは、清原氏が薬物依存の怖さ、うつ病との戦い、家族の支えについて語った『薬物依存症の日々』(文春文庫)より一部を抜粋。清原氏が、覚せい剤取締法違反で逮捕された日のことを振り返る。(全4回の3回目/4回目に続く)
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あの日の記憶
2020年2月2日。
今年もぼくは1年のうちでもっとも憂うつな日を迎えました。
あれからもう4年になるというのに、やはり前の日の夜から気分的に落ち込んでしまい、朝起きてもやはり沈んだままでした。
薬物依存症において、こういうときに独りでいるのが一番良くないということを自分は学んでいました。だから、とにかくだれかと一緒にいようと思って、友人と外に出かけました。
何か他のことを考えて気持ちを紛(まぎ)らわせようとしたつもりだったんですが、どうしてもあの日のことが頭に浮かんできてしまいます。
お昼過ぎ、まだ外は明るいのに「ああ、あと8時間後に警察に踏み込まれたんだったなあ」と時刻を変にカウントダウンしてしまっている自分がいました。
あと7時間、あと6時間……。
それほど逮捕されたあの日のことは強烈に記憶に残っていて、いつまでも消えないんです。
あの日。2016年2月2日、ぼくは自宅のマンションで覚せい剤を使おうとしていました。
薬物は1月31日、群馬まで車を走らせて手に入れていました。30日、31日というのは週末で、息子の野球を遠くからでも見ようと少年野球のグラウンドに行ったんですが、息子は風邪か何かで出ていなくて、たまらなく寂しい気持ちになったんです。
そしてまず、2月1日に使いました。
2月1日というのはプロ野球のキャンプ・インの時期で、プロ野球選手にとっての正月でもあります。そんな大事なときに俺は野球に関わることもなく、ひとりで何をやっているんだろうと。そういう寂しさをまぎらわすために薬物を使ってしまったんです。
翌日2日になっても気分は変わらず、夕方を過ぎたころに覚せい剤を使いました。体内に薬物を入れたあとに浮かんだのは「せっかくやめられていたのに、なんでまた使ってしまったんだろう」という後悔です。