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 当時、上の子が6歳、下の子が3歳だったので、結局はふたりの頭にぼくがホームランを目の前で打ったという記憶は残せなかったと思うんです。

 引退してからしばらくは少年野球の試合を観に行ったり、一緒に野球道具を買いに行ったり、つかの間の幸せな時間を持つことができました。でも、やがてぼくは野球選手でもなくホームラン打者でもない自分に嫌気がさしてきて、心の穴を埋めてくれるものを求めて酒に溺(おぼ)れて、やがて薬物に溺れていきました。

 息子たちが望んでいた時間を父親としてほとんど与えてあげることはできませんでした。それどころか家族を傷つけて、ズタズタに引き裂いてしまった。

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 そんなぼくに……、ぼくのいちばん苦しい日に逆に、息子がホームランをプレゼントしてくれたんです。

部屋に飾られている2本のバット

 今、ぼくの部屋にはバットが2本飾ってあります。

 1本は1985年夏の甲子園決勝戦でぼくがホームランを打った金属バットです。

 そのすぐ隣にくっつけて置いてあるのが、今年の2月2日に息子がホームランを打ってくれた黒いバットです。

 あの日、動画を見たぼくが「そのバットをくれないか」と言ったら、息子は「アパッチへ」とバットに書いて、プレゼントしてくれたんです。

 ぼくはずっと息子たちからパパとかお父さんではなく「アパッチ」と呼ばれていました。型にはまらない野球アニメ「アパッチ野球軍」が好きだったのと、「パパ」の語呂から、そういうあだ名のようなものになったんですが、息子たちは今もそう呼んでくれています。

現役時代の清原氏

 2本のバットが並んでいる、そのすぐ上には亡くなった母親の写真が飾ってあります。そうすることで何か力を与えてくれるような気がしているんです。

 すぐ隣には西武ライオンズに入団したときに両親と撮った写真があります。

 息子たちと再会した日に、長男と次男とぼくの3人で撮った写真も置いてあります。

 ぼくは今、毎日、そうしたものを眺めて暮らすことができています。

 あれほど死にたい、死にたいと思っていたぼくが、生きようと思えています。

 この部屋にあるすべてがぼくを支えてくれています。

 もしぼくがこの真っ暗な4年間のなかで少しでも前に進むことができているとすれば、それを可能にしてくれたものは、このバットや写真に象徴されているような気がします。

 正直、自分の中の何かを変えられたという実感はありません。これから先のことに対しての自信もありません。ただ薬物依存症の患者として、失ったものを少しでも取り戻すことができたのはなぜなのか。どんな悩みを抱えながら今に至ったのか。

 それをお話ししたいと思います。

薬物依存症の日々 (文春文庫)

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清原 和博

文藝春秋

2023年8月2日 発売