2016年5月31日。覚せい剤取締法違反によって有罪判決を受けた清原和博氏。清原氏は執行猶予期間中、薬物依存症やうつ病に苦しみ、自殺願望を抱え、もがき続けていたという。いったい彼は、どのようにして苦痛と向き合いながら生活していたのだろうか?

 ここでは、清原氏が薬物依存の怖さ、うつ病との戦い、家族の支えについて語った『薬物依存症の日々』(文春文庫)より一部を抜粋。2019年3月14日、5年ぶりにふたりの息子と再会した清原氏が、その場で号泣した理由とは? (全4回の4回目/3回目から続く)

清原和博氏 ©文藝春秋

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「再会の日」

 あの日、ぼくは約束の場所へ向かっていました。

 車の中から昼下がりの曇り空を見上げて、ただただ震えていました。

 かけるべき言葉があるはずだ。かけなければならない言葉があるはずだ。

 そうわかってはいるんですが、いくら探しても言葉は見つからず、ただただ怖くて怖くてしかたありませんでした。

 一体どんな顔をすればいいのだろうか。一体どんな顔をされるのだろうか。

 そんなことが頭の中をずっとグルグルグルグルとめぐっていました。

 2019年3月14日。

 ぼくはふたりの息子と再会したんです。

 足立区の室内練習場のような場所でした。

 先に着いたぼくが待っていると、やがてふたりがやってきました。高校2年生と中学2年生、すっかり大きくなった息子たちがそこにいました。

 何年ぶりに顔を見たのか……。最後に会ったのは逮捕されるまえのことですから、5年ぶりぐらいでしょうか。離婚してからは会えなくなって、もう二度と会えないのだろうと思っていました。成長ぶりを知る手段はただひとつ、弁護士さんを通じてもらう何枚かの写真しかありませんでした。

 ただ実際に会ってみると、ぼくの想像をはるかに超えていました。ふたりとも、しっかりした男の顔になっていました。

 もう何も言えませんでした。

 息子たちの顔を見るなり涙があふれてきて、ぼくはその場に突っ立って「ごめんな……」「ごめんな……」とただ泣いていました。

 どうしていいのかわからない父親を見て、長男が言ってくれました。

「大丈夫だよ─」

 そう言って笑ってくれたんです。

 涙が止まりませんでした。ぼくはふたりを抱きしめてまた泣きました。