世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。
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湯田真壁(ゆだまかべ)という風変わりな名前を持つ男が、熱海の旅館で刺殺される。湯田は大阪の興信所に勤める探偵であったが、他人の秘密を集めては恐喝を繰り返す、強請(ゆす)り屋の顔を持っていたのだ。熱海署の捜査陣は湯田に脅迫されていた人物に目を付け、容疑者を十二人にまで絞り込む。ところが容疑者全員に完璧なアリバイが成立し、捜査は振出しに戻ってしまう。地元警察からバトンを受け継ぎ、再度捜査に乗り出したのは警視庁きってのアリバイ崩しの名手、鬼貫(おにつら)警部だった。
大胆にして緻密なアリバイトリックと、それを突き崩すロジカルな推理の面白さを持つ謎解きの名編を生み出し続けた鮎川哲也。『憎悪の化石』は数ある鮎川作品の中でも、トップクラスの出来栄えを誇る長編だ。
難攻不落の謎に頭を悩ます一同、そこに救いの神の如く現れる名探偵、犯人の仕掛けた大トリック。謎解き小説の魅力を余すところなく、かつコンパクトにまとめているところが素晴らしい。
特に着目すべきは魔術のようなトリックだ。時間という不可逆なものをこんな方法で支配してしまうことが可能なのか、と刊行から六十年近く経つ今でも新鮮な驚きを与えてくれる。
このトリックに挑む名探偵、鬼貫警部もこれまた実に格好いい。普段は大人しい中年男性であり、一見すると個性の薄い探偵役にも思えてしまうのだが、それは大きな誤解。犯人の残したほんの些細な瑕疵から、アクロバティックな論理を紡ぎ出してみせる姿は、これぞ名探偵という風格に満ちているのだ。「うん、ちょっとしたことに気づいたよ……」という一言から始まるスリリングな推理は圧巻である。(踏)