本面接は無難にこなしたつもりだった。お別れ会もしてもらった。それなのに、なかなか『釈前寮』に移る指示が来ない。
「たぶん私が売人だから、仮釈放の決定がなかなか出なかったのかな。6週たっても8週たっても呼ばれないんですよ。私よりあとで本面接を受けた人より、私が先に『釈前寮』に入るのがあたり前でしょ。それなのに、どんどん順番を飛ばされて、まわりに『なんで?』と言われてあせってきた。そんなの、こっちが聞きたいよね」
刑務官は懲罰チャンスを狙っていた
心当たりがないことはなかった。配置替えで新しく担当官になったタナカ(仮名)と気が合わなかったのだ。表に出さなくても、好き嫌いの感情は相手に伝わりやすい。受刑者から見れば、刑務官は権力者で、その中でもっとも近くにいるのが担当官。刑務官も人間だから、担当する受刑者と仲良くなれば温情も与えるし、嫌いであれば冷徹にもなる。
とはいえ、刑務所では人間関係を良好に保つのが生命線だとわかっていた。まして残り期間わずかというところで、気に入らないからと突っかかっていくほど幼稚ではないのでは?
「もちろん、タナカに足を引っ張られないようにしなきゃと用心していましたよ。でも、本面接まで終えて浮かれていた反動で、落ち着きをなくしていたのね。作業の時間に体調が悪くなり、そのときに……」
作業時は席を勝手に動くと規則違反になるので、持ち場で手を挙げて「離席お願いします」と担当官に言った。気持ちがイライラして、とても作業を続けられそうにない。
「担当台(担当官のいる場所)まで行っていいですか。医務へ連れていってほしいんですけど」
「ちょっと待ちなさい」
「待てない!」
思わず席を立ったそのとき、タナカが待ってましたとばかりに宣言した。
「はい、懲罰」
仮出所は模範囚に与えられる特例。模範囚は懲罰など受けない。したがって、廣瀬はこの瞬間に仮出所の資格をはく奪されたも同然だった。
ヤケを起こし「どういうことだよ」と暴れて
何をしたのか。暴言でも暴力でもない。体調が悪くなったと訴え、席で立ちあがっただけである。許しなく席を立つことは無断離席と呼ばれる違反行為なのだ。
いくら規則に厳格だとしても、これで懲罰というのは無慈悲な対応だ。でも、少なくとも自分がいたときは、規則を盾(たて)に受刑者を支配するのが刑務所だったと廣瀬は断言する。あのひと言ですべてが終わったのだと。
「アイツは私が嫌いで懲罰を与えるチャンスを狙っていた。じつのところはわからないし、規則に従ったまでだと言うに決まってるけど、私はそう感じた。で、もういいやとヤケを起こして『どういうことだよ』と暴れちゃうのね」
そんなことをせず、すぐに謝って着席していればと思わなくもないが、そんなことで懲罰が撤回される可能性はないと廣瀬は言う。仮出所させてやりたい思いがあれば、懲罰を口にする前に着席を指示するなりしてチャンスを与えるはず。そうしなかった時点で悪意ありだと。
冷静に処分を受け入れて優等生のフリを継続していれば、万にひとつではあっても、短期間のうちに再び仮出所候補に入る奇跡が起こせたかもしれない。そうでなくても、その後の刑務所生活を穏やかに過ごすため、ここはグッとこらえて耐え忍び、他の受刑者にこっそりグチをこぼして気持ちを紛らわす。たぶん僕ならそうする。というか、それしか思い浮かばない。
でも、そうはならないのである。時すでに遅し。出所まで出番がないはずだった“『魔罹啞』の明美”が、刑務所内で目覚めてしまったのだ。