“動物園”と呼ばれるヤバい独房へ
天国から地獄に落とされた廣瀬を待っていたのは、外の新鮮な空気ではなく、暗くて冷たい独房だった。
しかも、ただの独房ではない。懲罰には7日間、20日間など期間の長さで重さが変わるもののほかに、閉じ込められる場所(独居)によるレベルの違いがあり、もっとも重大な違反を犯した者は他の建物から離れた場所にある寮に入れられる。作業場で暴れた廣瀬はその対象となった。
懲罰房はひとりで姿勢を正しながら反省させられる部屋だと前に聞いたが、どこが違うのか。
「私が閉じ込められたのは、受刑者間で“動物園”と呼ばれている懲罰用のヤバい寮。刑務所内で、こいつは手に負えない、まともじゃないと見られた受刑者が全員集合するところですね。なぜ動物園かって?
そこにいる受刑者は黙ってなんていなくて、独居房でわめいたり叫んだり、泣いたり歌ったりするからですよ。私もそのひとり。物はぶん投げる、ガラスはぶっ掻(か)く、刑務官には殴りかかる。
大黒摩季とかよく歌ってた。起きてる間ずっとそうしてる。黙っていたら他の部屋からわめき声が聞こえておかしくなりそうだから、私も負けじと『テメー、コノヤロー』。外に向かって力のかぎり叫ぶ。私を懲罰にしたタナカを殺してやりたい。あんたのせいでこうなってるというのをわかってもらいたい。『私は地元ここなんだよ。栃木なんだよ。私をこんな目にあわせて、出たら絶対に復讐してやるとタナカに言っとけ!』と、とにかく絶叫してましたね」
仮釈放のためにおとなしくしていた分、反動は大きい。希望を粉々にされ、もう満期5年でいいやと開き直った廣瀬に、いまさら怖いものはなかった。絶望から生じるストレスを思う存分まき散らす。毎日が発狂寸前だったと笑うが、エネルギーを発散させているのであって、正気は保っていた。
はめられて仮出所がふいになったという恨みの大きさ
こうした極端な行動にも、躊躇なく人を殴り、刃物を突き刺してきた廣瀬らしさが表れているとは言えないだろうか。この人は、感情が爆発すると普通はそこまでやらないところを軽々と突破してしまう。それがすべて悪いほうに出てしまうのが難点なのだが……。
模範囚の仮面を脱ぎ捨てて荒れ狂うようになり、懲罰の連続。顔見知りの受刑者たちからも距離を置かれ、孤独が募る。タナカさえいなければ、いま頃は楽しい生活ができていたのに――。
最後の1年間はほとんど“動物園”にいた。一日中、壁を叩いてガラスぶっ搔いて叫んでも、独居房は敷地の端っこにあって周囲には聞こえない。それがわかっていても叫ばずにはいられなかった。
タナカにはめられて仮出所がふいになったという恨みの大きさは、出所1年後に廣瀬がとった行動からもうかがえる。栃木刑務所の敷地内でイベントが行われた日、『魔罹啞』の後輩たちを引き連れて乗り込んだのだ。
「あら、ひさしぶり。タナカの姿が見えないね。タナカを連れてきてよ、用事があるの」
ただならぬ雰囲気を察知し、対応した刑務官は無線で応援を要請。廣瀬を取り囲んで離れようとしなかったそうだ。騒ぎになりかねないリスクを冒してでも、タナカにプレッシャーをかけたかった。刑務所内では権力者でも、外ではそうはいかないことを思い知らせたかったのだ。