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戦前の日本では「人肉の刺身」が食べられていた…明治・大正期の新聞が報じた「遺体損壊事件」の意外な背景

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genre : ライフ, 歴史, 社会

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明治・大正期の新聞には「人肉の切り売り」という衝撃的な記事が載っている。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「『人間の生き肝や脳味噌が万病に効く』という迷信があり、人肉が取引されていたようだ。また、火葬場の火夫が遺体を損壊し、人肉や内臓、金歯などを転売する事件も起きていた」という――。

明治・大正の火葬技術は未熟だった

明治・大正のころは火葬技術が未熟で、遺体が焼き上がるまで一晩かかることもあった。そのような時代、火葬場に住み込みで働く火の番人が不可欠であった。

写真=iStock.com/rvimages 明治・大正の火葬技術は未熟だった(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/rvimages

当時の火葬場は人里離れた山奥にあることが多かった。そうした火葬場に住み込みで働く人々が、地元民に奇異な目で見られたであろうことは想像に難くない。

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一方、辺鄙な場所での仕事ゆえ、人目につかぬことを幸いに、犯罪に手を染める者も存在した。

「人肉刺身を喰わす」火葬場で起きた事件

筆者は明治初期から終戦までの約70年間の新聞に目を通したが、筆者の知る限り以下の事件が初出のようである。

人肉刺身を喰わす 変死人の臀肉 謝礼に酒と金

「人肉の切り売りといえる、聞くだに血生臭くすさまじき大罪を犯せし曲者、突然佐世保警察署の手に検挙されたり。該犯人は長崎県大村生まれの者にして、二十年前より佐世保に移住し小佐世保白木山火葬場にて穏亡を営むこと八年、近頃、同地屑藪山仮葬場に転居せる久花熊太郎(五四)の所為(しょい)なることを確かめ、二十一日夕刻、同人を逮捕し目下厳重に取り調べ中」(「樺太日日新聞」明治44年4月9日)

「穏亡(隠亡)」とは火葬場や墓地の守り役を意味する。しばしば差別的な扱いを受け、「隠亡」という言葉自体が差別的なニュアンスで使われていた。(現在は火葬場に住み込みで働く職業自体が存在しないことも踏まえ、当時の記事についてはそのまま掲載した)。

以下、この事件をくわしく解説してみよう。

死体の臀部と股から約3斤半の肉をえぐり取り…

佐世保市内の仕立職、松永要四郎(37)という者が、酒一升を提げて、火葬場に住む久花熊太郎(54)を訪ね、こう言った。

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