東アジアで最も危険な国・北朝鮮が「核開発」をやめない理由とは? 防衛省のシンクタンクである防衛研究所防衛政策研究室長・高橋杉雄氏が解説。新刊『日本人が知っておくべき 自衛隊と国防のこと』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

北朝鮮が「核開発」をやめない理由とは? ©getty

 

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東アジアで最も危険な国・北朝鮮

 多くの日本人から「東アジアで最も危険」というイメージを持たれているであろう国が、朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮です。

 1998年には何の予告もなく日本列島を飛び越える軌道でテポドンミサイルを発射しており、以来四半世紀にわたってミサイルおよび核兵器の開発を続け、日本の安全保障上の脅威のひとつに位置づけられてきました。拉致問題も解決には至っておらず、「国際的な常識をあまり気にしないで行動する国」という印象が強く、ある意味で非常にわかりやすい脅威対象です。

 北朝鮮による核兵器の開発が深刻な問題として認識されたのは、1993~1994年の第一次朝鮮半島核危機の時期です。このときは、北朝鮮の核施設に対するIAEAの特別査察を北朝鮮が拒否したことで、にわかに核開発疑惑が高まりました。やがて米軍による空爆寸前までいきましたが回避され、1994年には、北朝鮮が原子炉を解体するという、米朝間の枠組合意もなされています。

 北朝鮮は、国内の電力不足を解消するため、というロジックを原子炉運用の口実としてきました。しかし、寧辺郡にある原子炉から外部へは、送電線が架けられていません。国内のどこにも送電していないわけですから、なんともお粗末な言い訳です。しかしその主張を逆手にとり、火力発電用の重油を提供するから原子炉を解体しなさい、というところで取り引きが成立しました。原子炉がなければプルトニウムは作れませんから、これで北朝鮮の核兵器開発は大きく後退すると思われました。

 ところが北朝鮮は、この合意の裏でウラン濃縮実験を始めました。プルトニウムがなくても、濃縮ウランがあれば核爆弾を作ることができます。

 このウラン濃縮実験が発覚したのが2002年で、これがきっかけとなって六者会合が行われます。北朝鮮と米韓中の四者に、ロシア、日本を加えて六者会合になりました。こうして2005年9月、六者会合で非核化が合意されました。

 しかし翌2006年、北朝鮮が初めての核実験を行います。非核化合意を遵守するつもりなど、北朝鮮には最初からなかったのです。