『フェイブルマンズ』が実現に向けて動き出した理由は…
念のために言っておくと、もちろん事実としては『フェイブルマンズ』はスピルバーグの「最後の映画」ではない。
2023年12月に77歳の誕生日を迎えるスピルバーグは、監督としては『フェイブルマンズ』の次作として『ブリット』(1968年)でスティーブ・マックイーンが演じた主人公フランク・ブリットのスピンオフとなる作品の準備に入っていて、プロデューサー/エグゼクティブ・プロデューサーとしては公表されているだけでも、現時点(2023年5月)で『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(2023年)を含む実に17作品もの新作に携わっている。
しかし、そのような事実も、スピルバーグにとって初めての直接的な自伝作品であり、初めての直接的な「映画についての映画」であり、初めて草稿の段階から脚本に関わった作品である『フェイブルマンズ』を特別視しない理由にはなり得ない。『ミュンヘン』(2005年)の撮影現場での脚本家トニー・クシュナーとの対話がきっかけとなったという、約20年越しの企画の『フェイブルマンズ』だが、具体的な脚本の作業が始まったのはパンデミック下の2020年。作品のプレスリリースには次のような言葉が綴られていた。
「2020年の時点では、たった1年後の人生でさえどうなっているか、誰にもわからなかった。事態が悪化するにつれ、もし何かをやり残すことになるのなら、絶対にやり遂げなくてはならないことは何だろうと考えていた」
ここでスピルバーグの言う「事態の悪化」とは、当時の新型コロナウイルスの感染状況であり、それが映画興行にもたらしていた甚大な影響のことだが、高齢のスピルバーグにとって、疫病そのものについても自身の生命を脅かす存在として意識せずにはいられないものだったのではないか。
『フェイブルマンズ』が実現に向けて動き出したもう一つの大きな理由は、2020年8月にスピルバーグの実父アーノルド・スピルバーグが103歳で亡くなったことだ。その3年前には、実母リアも97歳で亡くなっている。
これまでは断片的にしか伝えられてこなかった、スピルバーグの両親の離婚の原因とその過程が事細かに描かれている『フェイブルマンズ』。離婚から数十年を経て、晩年にはよき友人同士となっていたアーノルドとリアは、ことあるごとに息子に「自分たちのことはいつ映画にするんだ?」と語っていたとのことだが、作品を観れば、両親のどちらかが生きている限りこの作品の実現が困難であったことがわかる。アーノルドとリアに捧げられたこの作品は、二人を深く傷つけかねない作品でもあるからだ。