飲み込みにくさをともなった残酷な作品
まるで『未知との遭遇』の父親のように、家族を顧みず仕事に打ち込むコンピュータ技師だった父親。まるで『宇宙戦争』(2005年)でトライポッドに立ち向かうように、危険を顧みずハリケーンに向かって子供たちを乗せた車を走らせる、かつてプロのピアニストを目指していた母親。「自分について語るということは自分の親について語るということ」といわんばかりに、『フェイブルマンズ』においてスピルバーグは「自分が自分であること」の根拠として両親の姿を描いていく。
そして、これまで『E.T.』(1982年)や『A.I.』(2001年)をはじめとする自作で執拗に描いてきた、両親の関係の不和や親から捨てられることへの恐怖の真相を、遂に「自分の物語」として語っていく。
『フェイブルマンズ』は、子供時代のスピルバーグの『地上最大のショウ』(1952年)や『リバティ・バランスを射った男』(1962年)との出会いや、8mmカメラやフィルムの編集機を手にして映画制作に目覚めていく姿を描いた「映画についての映画」である以上に、スピルバーグの「両親についての映画」だ。
そして、それは同時期にほかの映画作家が撮った「幼少期を送ってきた時代と場所へのノスタルジーを込めた映画」とはまったく趣が異なる、ある種の飲み込みにくさをともなった残酷な作品となっている。
『レディ・バード』と『フェイブルマンズ』
スピルバーグほどの映画監督となれば、作家論や作品論はもちろんのこと、伝記本だけでもこれまで片手の指で収まらない数の書籍が出版されている。『フェイブルマンズ』に寄せられた批評家の不満の中には、「学生時代のあのエピソードが入ってない」「10代で撮ったあの重要作品について触れてない」といった自伝映画としての不完全性についての指摘も散見される。
しかし、スピルバーグが撮りたかったのは網羅的な自伝映画ではなく、自伝映画と並んで昨今流行りの「映画についての映画」でもなく、あくまでも「両親についての映画」なのだ。そうでなければ、映画との運命的な出会いとなった『地上最大のショウ』と、フィナーレを飾るジョン・フォードとのエピソードで回収されることになる『リバティ・バランスを射った男』の2作品以外、少年時代に出会った数々の名作についてほとんど触れていないことの説明がつかない。
2020年前後から世界各国の名匠たちが向かう先を決定づけた作品としての『ROMA/ローマ』の意義には触れたが、それ以上に『フェイブルマンズ』実現にいたるまでのスピルバーグに啓示を与えた重要な作品がある。グレタ・ガーウィグが2017年に世に送り出した『レディ・バード』だ。
スピルバーグはガーウィグにとっての初の単独監督作となったこの自伝映画を激賞し、「TIME」誌の「最も影響力のある100人」2018年版にガーウィグが選出された際には、珍しいことに寄稿文まで寄せている。その文章の中でスピルバーグはこう語っている。