「親からの独立」についての映画
「グレタの才能には大気から飛び立つような勢いがあり、その作品には100万の優れたアイデアが封じ込められている。それは神経質なものではなく、何かに没頭している人間だけが生み出せるエネルギーだ」
「詩人のデヴィッド・ホワイトは『優れた詩とは、最も軽いタッチで心を癒してくれる、どこからともなくやってくる風のようなものだ』と書いている。グレタの映画がもたらす詩情はまさにその風だ。私は次の風が吹くのを待ちきれない」
「何かに没頭している人間だけが生み出せるエネルギー」。「最も軽いタッチで心を癒してくれる」。スピルバーグの『レディ・バード』への賛辞は、スピルバーグ自身の作品の美点をもこれ以上なく的確に言い表している。
ガーウィグはスピルバーグの助言によって、次作『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』(2019年)でフィルムカメラでの撮影を選択したことを明かしているが、『フェイブルマンズ』のハイスクール時代のパートは、まるでスピルバーグからの『レディ・バード』への返答のような瑞々しいタッチで描かれていく。
そのことは、ハリウッドの70代の男性監督と30代の女性監督がお互いの作品に影響を与え合っているという美談にとどまるものではない。なぜなら、『フェイブルマンズ』は『レディ・バード』とまったく同じように、「親からの独立」についての映画でもあるからだ。
映画の持つ「スーパーパワー」に恐れ慄く少年
「親からの独立」を映画にする上で、スピルバーグは両親の死を待たなければならなかった。なぜなら、それは最愛の母親の、父親とは別の男性への恋愛感情を告発する作品だったからだ。
劇中で主人公がクローゼットの中でのフィルムの映写を通して、母親にその真実を突きつけることになるシーンは衝撃的だ。彼は自分が「撮ってしまった」ものに困惑し、一度は編集を放棄するが、皮肉なことに父親に急き立てられてフィルムを完成させる。そして、そのフィルムは結果的に家族がバラバラになるきっかけとなってしまう。
複数の評伝によると、両親が離婚した後、スピルバーグはまだ母親を愛しているのに復縁を迫らないことに腹を立てて、父親と長いこと疎遠になっていたという。つまり、『フェイブルマンズ』の中で真実を認めたくなくて撮影済のフィルムの編集を放棄していた少年と同じ状態が、プロの映画監督になってからもずっと続いていたわけだ。
「父親の不在」をモチーフにしたスピルバーグの数々の傑作がそのような背景から生まれていたことを、我々観客は『フェイブルマンズ』で初めて知ることになる。