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母とふたりきりの家を避け、ファミレスで友人と過ごした青春

諸橋 そこも反抗期的なもので。家で母とふたりで仲良くしゃべる気にならないって、思春期なら普通だと思うんですよね。べつに母がメソメソしていたということはなくて、母とふたりきりで家にいるってのが、なんか恥ずかしかったんですよ。まだ、父がいて3人だったらよかったんだけど。

――「晩ごはんよー」って呼ばれるのもちょっと、みたいな。

諸橋 そうそう。ご飯を一緒に食べるのもイヤで、晩ごはんはまったくもって一緒に食べなかったです。夜遅くまで友達と遊んで、一緒にファミレスで食べてましたね。

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――夜遊びは、高校の友達と?

諸橋 同じ高校の友達はひとりだけで、あとは中学のときの仲間ばかりでしたね。ゲーセンに行けば、だいたい仲間がいるんですよ。昔はスマホなんてなかったけど、普通にたまり場が決まっていたし、行けば必ず誰かがいて。

 それで「飯食いに行こうぜ」って、みんなでファミレスに行って、そのまま22時、23時まで過ごすっていう。まぁ、ケンカしたりもあったけど、それぐらいは高校生だったら普通じゃないですか。高校までは真面目なほうだったけど、ガリ勉タイプではなかったです。そういうところに出入りしていたので。

――青春のひとコマって感じですね。

諸橋 僕的に“グレる、グレない”のラインは、“違法なものに手を出すか、出さないか”だから。

――でも、その夜更かしがグレる根源であったと。

諸橋 そうですね。深夜の2時、3時まで起きているのが当たり前の生活が始まって。でも、これもまだ普通じゃないですか。だけど、僕の場合はそれが出発点だった気がするんですよ。生活リズムが変わると、人間関係も変わっちゃうんだなって。

 いちばん生活リズムを崩したのは、東大受験に失敗してから予備校に通うために上京するまでの2ヶ月間。センター試験は受けたけど、勉強せずに遊んでいたからぜんぜんダメで。もう午前中の時点で、手応えを感じられなくて、あきらめて家に帰っちゃったんですよ。で、試験が終わって2月と3月は暇だから、高校の夜遊び仲間たちと遊びまくって、さらに生活リズムが狂ってしまった。

 

――予備校はどこへ。

諸橋 東京にある予備校です。通ったのは、東大コースですね。最初は「よし、1年間がんばるぞ」みたいな気持ちがあったんですよ。実際、まだ「1年勉強すれば大丈夫だろう」っていう自信はあったし、現役のときも高3の秋のセンター模試で8割は取ってたから、本番1ヵ月前にキュッと力を入れれば十分だろうって。まぁ、浅はかでしたけど。

 それにまわりは東大を狙う子しかいないから、勉強する以外することがないんじゃないかって。だけど、そこにもワルがいたんですよね。

――そのワルから覚醒剤のパケを勧められたそうですね。