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松永弁護団の冒頭陳述の人物像に同級生は…

〈被告人松永は、生来頭はよく、家ではたいした勉強をしていなかったが、成績はほとんどオール5を通した。

 被告人松永は、だれに対してもはっきりと自分の意見を言うタイプの性格であり、他の児童らからも一目置かれていた。そのため、被告人松永は、常にクラスのリーダー的存在となっており、学級委員長を何度も務め、生徒会の役員にも就いたことがあった。

 また、被告人松永は、このころからすでに読書好きであり、夜は家で自叙伝の類のノンフィクション作品をたくさん読むなどしていた〉

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 だが、小学校の卒業アルバムに残されている松永の小学6年時の委員会活動は「視聴覚(委員)」であり、彼の小学校時代の同級生は「松永がほかの児童らから一目置かれていたということはないし、学級委員長を務めたという記憶もない。どちらかといえば影が薄いタイプだった」と語る。

中学生時代の松永太死刑囚(中学校卒業アルバムより)

 続いて地元の中学校に通った松永だが、そこでの人物像については次のようにある。

〈中学時代の被告人松永は、ワンマンで目立ちたがり屋ではあったが、明るく弁が立つ生徒であって、相変わらずクラスのリーダー的存在であった。(中略)被告人松永は、入学以来男子バレー部のキャプテンを最後まで続け、練習にも励んでいた。

 ある時、被告人松永は、女子バレー部顧問であった教諭に対し「男子バレー部も鍛えてほしい。」と頼んだところ、上記教諭から「やる気があるなら面倒を見る」旨告げられたので、「明日までにメンバーを集めてくる。」と言い、すぐに運動神経や体格のいい生徒ばかりをずらりと集めてきたこともあり、上記教諭を驚かせたこともあった〉

 このことについて、松永と小中学校で同級生だったA氏は頭から否定する。

「クラスのリーダー的存在ということはありません。それは嘘です。部活については、私もバレー部だったので、一緒にやっていました。松永がキャプテンだったのは事実ですけど、結局、本人が強く望むからキャプテンにしたって感じなんです。

 弁が立つし、小学校のときに比べて、表向きの強さを徐々に発揮してきたということもあったんで、じゃあ、任せるわって感じで……。でも、彼はレギュラーじゃなかったんです。というのも、チームプレーができないから。運動神経が良さそうでいて、そうでもなかったんですよね。バレー部って、3年生が7人とか、人数はギリギリだったんです。それでもレギュラーの6人にはなれませんでした」