小中学校の同級生であるC氏は、当時の学校内での松永の立場を説明する。
「小学校とか中学校は普通の子やけん。中学校になって口が立つようになったけど、不良とかそういうんではない。同じ学年に不良は不良としておったから、それは松永とはレベルが違う。まあ、松永がそういう連中に喧嘩をふっかけるようなことはなかったし、そういう連中にとって、松永は眼中になかったけんね。不良にしてみれば、あいつ(松永)は口が達者やったもんねとか、それくらいの記憶しかないと」
松永家にも出入りしていたC氏が語る、松永の素顔
前出の冒頭陳述は、そんな松永の進路についても触れている。
〈被告人松永は、中学校入学当初ころ、有名進学校に進学したいという思いもあったが、祖父の「勉強だけができても仕方がない。」という教えもあり、頭はいいものの勉強に対しては余り熱心ではなく、姉に対し、「今までずっと分かっていた教科がある日突然分からなくなった。突然自分よりも周りの子ができがいいと分かった。」と苦笑いして打ち明けたことがあった。被告人松永の両親も、被告人松永が大学に進学したり、大企業に勤めて出世してほしいといった期待はしていなかったこともあり、被告人松永は、地元の福岡県立M高校(*原文実名)に進学した〉
そうした説明に対し、松永家にも出入りしていたC氏は反論する。
「そんなん大げさに言っとるけどくさ、べつにそこまで成績が良かったとかは、全然なかったと。だいたい、松永が行ったM高は成績が中から下の生徒が行く学校やけんね。そこしか行けんかったと。しかも、高校に入ってからも、あいつが中学時代にどんな奴やったか知っとる者が多かろうもん。やけん、別に不良になったとかいうんは、M高の時代にはなかった。あいつが弾けたんは、その後で久留米の(私立)K高に行ってから。それからたい」
C氏の説明によれば、松永は地域で名を轟かす不良などではなく、いわば不良を装ってはいたが、それは自分より弱い者の前だけで、本物の不良の前ではおとなしい、中途半端な存在だったという。それは彼のその後の犯行における「自分の手を汚さない」といった、姑息な内容に通じるものがある。