「無理やり牛乳を飲ませたり、パシリにしたり…」
今回、松永の中学時代の卒業アルバムを入手し、バレー部のなかにメンバーとして収まっている写真を見る機会に恵まれた。そのなかでは、松永を含めて最前列に写っている生徒が8人おり、服装の特徴からそれが3年生であったと推測される。
松永は最前列の中心でボールを持ってポーズをつけており、胸元のゼッケンは1番。A氏の言葉から、松永が強く望んでその番号を得たものとみられる。
小学校時代はそれほど背が高くなかった松永だが、中学の高学年になると、同級生のなかでも大柄な方であったことがわかる。A氏と同じく、松永と小中学校の同級生だったB氏は語る。
「中学校時代、松永は背も高く男前でしたが、女の子にはまるでモテませんでした。というのも、あいつは弱い者いじめばかりやっていたんです。自分より弱いやつを子分にして、無理やり牛乳を飲ませたり、パシリにしたりしていました。そういう卑劣な性格が女子にもバレていたようで、嫌われていた」
小学校からの同級生がそのまま続く中学校では、人物の評価も大きくは変わらない。そういった点で松永の実体は知られており、距離を置かれていたと考えられる。
卒業アルバムのアルバム委員も
中学校の卒業アルバムには、中学3年時の松永が、専門委員会は「風紀委員会」に所属しており、必修クラブでは「技術クラブ」にいたことが記録として残っていた。また、驚いたことに、彼は卒業アルバムのアルバム委員として、同委員6名の筆頭に名前を出しているのだった。ちなみに、松永以外の5名は全員女子生徒だ。
このアルバム委員による〈編集後記〉には、以下の文章が綴られている(読みやすいように漢数字は算用数字に変更)。
私たち編集委員一同は、9月上旬からこれまで、みなさんの中学校生活の思い出となるアルバム編集のため努力に努力を重ねてきました。
修学旅行、文化祭、クラスマッチ、ETC……
みんなが力を合わせ、目標に向ってがんばりつらねたときのことが、この数ページの中に展開されています。
10年後、20年後……
このアルバムを開いて今日この日を思い出してもらえたとき、このアルバムのほんとうの良さがわかってもらえると信じています。
1977年3月
裏付けが取れていないため断言することはできないが、〈努力に努力を〉や〈ほんとうの良さ〉といった、自画自賛の文言が続くこの文章は、松永によって書かれたものである気がしてならない。