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 その発言からも、松永の従業員に対する「支配」の様子が伝わってくる。さらにそれは夜の街でも同様だったという。Ⅾ氏は続ける。

「そんで、じゃあちょっと飲みに出るかってなるやろ。従業員が車を運転して店に行くわけやけど、店内でも座るのは俺と太だけで、従業員はずっと太の横で、腕を後ろに組んで、ボディーガードみたいに立たされとると。クラブなんかでもそうたい。俺と太にそれぞれ女の子がついとろうもん。そのボックス席の横で、従業員が立たされとるわけよ」

 自社ビルを建てた時に松永は24歳になったばかり。そして柳川市から緒方らと逃亡した時は31歳であることから、彼がこうした振る舞いをしていたのは、20代半ばから後半にかけてということになる。

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中学生時代の松永太死刑囚(中学校卒業アルバムより)

実態は火の車

 しかし、そうした見栄を張りながらも、ワールドの実態は火の車だった。福岡地裁小倉支部で開かれた一審での、検察側の論告書には次のようにある。

〈やがて、松永は、従業員に命じ、知人の名義や架空人名義で実体のない信販契約を締結しては信販会社から立替払を受け、見かけ上の売上を得て当座をしのぐようになった。このような手法は、ワールドが信販会社に対して代金相当額に利息を加えた額の債務を負担することを意味しており、一時しのぎにはなり得ても、長期的には利息負担を膨らませ、経営状態を悪化させることは明らかであった。それにも関わらず、松永は、なおもこのような名義貸し・架空契約を継続させるため、程なくワールドは回復困難な自転車操業状態に陥った〉

 こうした「名義貸し」や「架空人名義契約」は信販会社に対する詐欺行為にあたる。そこで松永は、信販会社の支店長を酒席に接待し、醜態を隠し撮りするなどして弱みを握ることで、審査を甘くさせるなどの手を打っていたが、それにも限界があった。

 この時期になると、松永による暴行や虐待に耐えかねた従業員たちが、隙を見て彼の下から逃走するようになったのだ。そのため松永は、菩提寺の住職や知人の教師などからも現金を詐取するようになり、その際には松永と行動を共にする緒方も共謀し、実行正犯として犯行に加わるようになる。