裏の稼業「ヤミで金貸し」
一方、ワールドの経営がひっ迫し、違法行為に手を染めていた松永と緒方は、92年7月に取引先の信用金庫に押しかけて、約束手形の支払猶予を迫り、同支店職員に対する脅迫や器物を損壊する、暴力行為等処罰に関する法律違反事件を起こす(同容疑で93年6月に指名手配)。
その後のことについて、一審での判決文は次のように記している。
〈松永は、平成4年(92年)8月ころ2度目の手形不渡りを出し、ワールドを破綻させると、債権者や警察の追及を逃れるため、平成4年10月上旬ころ、緒方、山形を伴って、いったん石川県七尾市内に逃走したが、すぐに福岡県久留米市内に戻り、北九州市に来た〉
だが、松永らが柳川市を離れた一番の理由は、別のところにあった。松永と親しかったD氏は、ワールドとは別にやっていた、裏の稼業について語る。
「当時、地元の人間5~6人で、ヤミで金貸しをやりよるグループがあって、太はそのメンバーに入っとったと。太だけは20代やったけど、あいつ以外は全員50~60代よ。まああいつは20代であげん立派なビルば建てとうし、口もうまかろうが。そういうことで仲間に入れたとやろうね」
そのグループのメンバーは地主や自営業者で、たとえば1000万円を貸し付ける際には、メンバーが5人だとして、1人あたり200万円を出していたという。D氏は続ける。
「カネば貸す相手は、たとえば遊び代が欲しい若者や、資金難の商店主やったりするとやけど、重要なんは、その人物の親族に田んぼやら農地ば持っとる者がおるかどうか。息子がカネば借りて、返せんごとなるやろうが、そうしたら田んぼば持っとる父ちゃんのとこに朝から晩まで押しかけて、代物弁済させると。そんでその土地を開発に回すわけさ。まあ、いまはそんなことできんけどくさ、当時はゆるくて、そんなことができよったとよ」
普通は人を殺すことまでは考えきらん
D氏によれば、松永はそのヤミ金業で、地元にある広域暴力団の組長にカネを出してもらい、運用資金に回していたのだという。
「ところがそれを太が焦げ付かしてしもうたと。たしか2000万円くらいやなかろうか。それで返済のあてもないけん、柳川におられんごとなったとよ」
追われる身となった松永は、表立って働くことができない。そのためまずは山形さんの母親の資産に頼ったが、山形さんは逃亡する。そこで柳川時代と同じく、女性に甘言を弄して近づき、相手の気持ちが自分に向くと“金づる”として利用するようになった。6人が殺害された緒方の親族もまさに“金づる”であり、利用価値が無くなったことで殺害された。D氏は断言する。
「太はワールド時代に『むしり取る』ことを覚えとったい。そんで柳川を離れてからも、『むしり取る』ことができる相手がおったけん、そうしたと。普通は人を殺すことまでは考えきらん。そればってん、終わる身やったら開き直るやろうもん。そういうことたい」
つまり、後の凶行に至る松永の下地は、柳川時代に作られていたのである。
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この凶悪事件の詳細は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)にまとめられています。