総理の最側近として国家の舵取りを担う一方、多くの醜聞も報じられる。毀誉褒貶が相半ばする木原氏とは、いったい何者なのか。

記者会見する木原官房副長官 ©時事通信社

 1970年、渋谷区に生まれた。

〈祖父も親父もそして兄も皆な銀行員で、私だけが道を外した〉

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 自身のブログでそう綴ったように、父・雄一郎氏は、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)本店営業部長を経て、後に日本テレコム(現・ソフトバンク)の英国現地法人社長を務めた。祖父は第一銀行(現・みずほ銀行)の元取締役で、曾祖父の下坂藤太郎氏は台湾銀行の副総裁だ。5歳年上の兄・正裕氏は昨年1月から、みずほフィナンシャルグループの社長を務めている。

 幼少期は父の転勤に伴い、シカゴやアムステルダムなどに居住。当時からの趣味はミラノの大聖堂などの教会巡り。帰国後、新宿の区立小学校に編入すると、野球を始め、巨人の江川卓投手に憧れた。ごく普通の少年が選んだのは、中高一貫の男子校・私立武蔵だった。

「一日中テニスに明け暮れて、こんがりと肌が焼けていた。当時の武蔵はヴァイオリンなどの楽器を嗜むお坊っちゃんが多く、木原君もピアノに熱中していました」(同級生)

 服装にもこだわりを持ち、社会人向けのファッション誌を愛読。アイビールック好きの兄・正裕氏の影響を受けたのか、三つ揃いのスーツで登校したこともあった。

「他校の女の子にもモテて、『ピアノも弾けるんだよ』とアピールしていました」(別の同級生)

ロン毛の先輩をボコボコに

 ブログで、〈自由すぎて、時として自由を履き違え、羽目を外すこともありました〉と中高時代を振り返ったように、他の同級生とは異質な一面を見せることもあった。

「感情の起伏が尋常ではなかった。中学時代、談笑していた同級生の顔面を、突然ぶん殴ってメガネを吹き飛ばしたことがありました。同級生の発言が気に障ったのかもしれませんが、あまりにも突然のことでした。親友と呼べる存在はおらず、彼と親しいように見えた同級生も『アイツは孤独なんだよ』と」(同前)

 高校に進学した直後には、こんな“事件”を起こしていた。当時のクラスメイトが明かす。

「1学年上に、金八先生のようなロン毛で、少し説教がましい先輩がいた。ある日の休み時間、木原君は彼をボコボコにしたのです。教室にいると凄い物音がしたので、何事かと思って廊下に出ると、先輩の髪を掴み、殴る蹴るを繰り返していた」

 唖然とする級友たちに対し、木原氏はおもむろにこう呼びかけた。

「お〜い、誰かハサミ持って来いよ。コイツの髪、切るから」

本誌編集部の「木原誠二官房副長官のカサノバ伝説」全文は、「文藝春秋」2023年9月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。