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「全身刺青のヤクザと除染作業をやってると…」サラ金の取り立て、おっぱいパブの呼び込みも経験…大藪春彦賞作家・赤松利市(67)の人生がヤバすぎた!

赤松利市インタビュー

2023/08/27

genre : ライフ, 社会

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「マニュアルづくりを終えたあと、さすがに私も燃え尽き症候群になり、しばらく休みをもらいました。郷里の香川県へ帰り、釣り糸を垂らす日々を送ります。

 釣り場の近くにゴルフ場があって、陽の光に照らされ輝く緑を眺めていたら、ガムシャラに働く現場へ戻る気が失せていった。ちょうど30歳を越えることだし、もう引退して余生を送ろうとその場で決心しました。

 眼前にゴルフ場が広がっていたこともあって、これからは芝でも刈って暮らそうと思いました。家に戻って父に心境を打ち明けると、日本には傑出したゴルフ場コース管理者が5人いると教えられ、そのうちのひとりを紹介してもいいと言われました。父の専門は植物病理学で、各地のゴルフ場とのつながりもあったのです。

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 興味が湧いたのでゴルフ場管理の仕事を現場で学ばせてもらうことにしました。1ヶ月ほど見せてもらったところ、この業界も『自然が相手だから』というのを言い訳に非効率がまかり通っていると感じました。

 ゴルフ場コース管理の仕事は、もっと数値化・定量化・効率化できる。そんな思いを頭の中で即ビジネスモデルとして構築し、自分で事業を始めることにしました。

 会社を立ち上げ、全国のゴルフ場のコース管理を請け負うようになり、2年後には従業員が100人を超えるまでに成長しました。当時は我が世の春を満喫していましたね」

©文藝春秋 撮影/石川啓次

 活動の場を変えても成功をつかむことができるのは、能力や器の大きさゆえか。ただし、良い状態が長く続かないのもまた、赤松さんの人生の特徴となっている。

「仕事は順調だったものの、今度は家族に問題が起きました。中学生の娘が境界性人格障害と診断されたのです。目を離すと危険な行動に走る恐れがあるので、ずっと娘といっしょにいることにしました。

 会社のことなど二の次になって放り投げていたら、あっさり崩壊した。『あんな社長いらないんじゃないか』と社員の反逆に遭って、私が切られてしまいました。

 後悔の気持ちなどは湧きません。物理的に自分が娘についていなければいけないのだから、他に選択肢はありませんでした」

©文藝春秋 撮影/石川啓次

反社にまざって南相馬市の除染作業に従事

 仕事を失った赤松さんが、次に向かったのは東日本大震災の被災地だった。

 ときは2011年の秋。復興作業が急ピッチでおこなわれていた時期であり、働き口には事欠かなかった。

「石巻に行って土木作業員をやり、その後は南相馬に移って除染作業に従事します。そのほうが条件がよかったので。除染作業の現場はかなりアウトローな世界でした。他で職につけず流れてきた者が多いので、反社の人間も多かった。周りの従業員の何人かは全身に入れ墨が入っていました。

 水田除染といって表土を剥ぎ取り入れ替える作業を請け負い、人集めから任されたんですが、思うように集まらないし、手配ができてもこちらの要求通りに動いてもらえなかったりで、まったくうまくいかない。私ら現場の者は、元請け、一次、二次と降りてくる重層の下請け構造のしわ寄せをすべて背負わされることもあって、すっかり嫌気が差しました。

 ある日曜日、私は早朝に除染作業員宿舎を抜け出し、ひとりこっそり夜行バスで東京へ向かいました。怪しまれないように、荷物は丸ごと置いたままです」