日本に帰る前、西海岸に立ち寄ってディズニーランドへ連れて行ってもらいました。アトラクションで一番感激したのは『イッツ・ア・スモールワールド』。乗り物に乗って、いろんな国の子どもたちが、それぞれの国の言葉で同じ歌を歌っている様子を見て回りますね。最後に広場へ出ると、全員が集合して大合唱を繰り広げている。ああ、この光景が理想のかたちだ。子どもながらに思いました。
アメリカで肌身に感じてきた現実とはかけ離れたものだったから、なおさら胸に沁みました」
新卒で消費者金融に就職。送られたのは「地獄」だった
新作『救い難き人』でテーマに据えた「差別」に原点となる体験があったように、赤松利市作品のリアリティ溢れるエピソードや迫力ある描写は、作者自身の人生経験が色濃く反映しているようだ。
60歳を過ぎて文筆に専念するようになるまでの半生は、さてどんなものだったのか。ご本人に教えてもらおう。
世界トップクラスの実績を誇る研究者を父に持ち、少年時代を米国で過ごしたことは先述の通り。日本に戻った赤松青年は、進学校から関西大学へ進み、多ジャンルの本を読み漁る学生生活を送った。
就職は早々に関西を本拠とする大手百貨店の内定をとっていたが、これを辞退。当時業界として成長期にあった消費者金融大手へ入社する。
「父がその企業の会長と懇意で、相談を受けたのだそうです。うちでも新卒採用を始めたところだ、息子を預けてくれないかと。私は大人たちの事情に従って、泣く泣く進路を変えました。
ですが、やるならとことんやってやろうと、すぐに気持ちを切り替えた。最初に赴任したのは小規模な奈良支店だったので、もっとバリバリ仕事をしたい、きついところへ行かせてくれと頼み込んだ。すると不良債権を膨大に抱え、内部で『地獄の岡山』と囁かれていた岡山支店へ転勤となりました。
『地獄』でとにかく貸金回収に励んだところ、入社2年目で回収額全国トップとなり、社長賞をもらいました」
消費者金融の回収業務というハードな仕事で、入社2年目の新米がいきなりトップに立てるものなのか。
貸したカネの回収方法
「やり方から根本的に変えましたから。他の社員は皆、何キロも車を走らせて債務者に夜討ち朝駆けをかけ、千円単位の利子分だけ回収してくるといったことを熱心にやっていました。私の目には非効率の極みに映った。
本来ならこちらが取りに行くのではなく、お客様に振り込んでもらえるようにすべきです。そのためのしくみを考えればいい。そこでまずは、自分の担当するお客様全員と話し合う機会をいただき、こう持ちかけました。