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なぜ「神戸」には「大都市のターミナルっぽさ」がない?
それはともかく、神戸駅の周辺を歩こう。多聞通や湊川神社のある、いわば幹線道路から神戸駅方面への脇道に入ると、そこは小さな商店や雑居ビルが密集する市街地になっている。駅前から見える範囲にはホテルなどもあるが、少し歩くとそうしたターミナル前らしさからは遠ざかる。
その中には近世・西国街道の系譜を引く道もあり、そこにはいくらか飲食店なども多い。が、基本的には何か語るべきものがあるわけでもない普通の市街地である。
大都市のターミナルの駅前というと、金融機関やマスメディアが巨大なビルを並べているというのが常だ。ところが、この神戸駅は必ずしもそうではない。三ノ宮に都市の顔役を譲っているという現実は、こうしたところにも現れているのだろう。
線路沿いを歩けば高架下に小さな個人経営の立呑み屋の類いが連なり、少し歩けばもう新開地の歓楽街。比較的新しいマンションもあるにはあるが、いずれにしても150万都市・神戸の都市名を持つ駅の周辺としては、いささか不釣り合いである。
どうしてこのようなことになったのだろうか。
じつは「日本で2番目の鉄道路線」の終着駅だった「神戸」
神戸駅が開業したのは1874年5月11日のことだ。1872年に開業した新橋~横浜間に次ぐ、日本で2番目の鉄道路線、大阪~神戸間の終着駅としての開業だった。このとき、神戸駅付近に何かがあったわけでもなく、例の豪商・北風家が切り開いた新田や遊郭街があるばかりだったという。それが、駅開業に合わせて市街地が整備されて、発展していった。ちなみに、神戸駅建設によって移転した遊郭がいまの福原の風俗街である。
この取り立てて何もない場所に、なぜ駅が設けられたのだろうか。