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 神戸は幕末に開港した5都市のひとつで、国際貿易都市としての期待が大きかった。だから、新橋と横浜の連絡と同様に、大阪と神戸の鉄道連絡は日本の近代化にとって極めて重要な位置づけだったのだ。ただ、外国人居留地が置かれていたのは現在の三ノ宮駅近く。いまはメリケン波止場として観光地になっている港も、神戸駅からは少し離れている。

 これには、現在の神戸市域にあったもうひとつの港町が関係している。

国際港・神戸と「もうひとつの港町」

 もともと湊川の西側には兵庫津という古代以来の港町があった。江戸時代にも瀬戸内海の廻船が入港する拠点として栄え、明治初めの時点で2万人ほどの人口を抱えていたという。

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 いっぽうで、国際港として開かれた新たな神戸の港は湊川を挟んでだいぶ東側。そこで、神戸駅は旧来からの兵庫津という港町と、近代日本の要となるべき神戸という新しい港町を結節する、そのちょうど中間に置かれることになったのである。

 もしかすると、すでに創建されていた湊川神社との関連もあったのかもしれないが、いずれにしても新旧ふたつの港町どちらにも近く、それでいてすぐ東側に海が広がる神戸駅の立地は、実に合理的に考え抜かれた結果といっていい。

 開業当時の神戸駅は、いまよりも遥かに大きな規模を持っていた。関西では初めてとなる鉄道の起終点、ターミナルなのだからとうぜんだ。海側に向かっては広大な貨物ヤードや倉庫街が広がり、南側には鉄道関連の工場も置かれた。桟橋まで伸びる線路もあったようで、海運との連絡を第一に考えて設計されたのだろう。

 

 開業から15年後の1889年には、東海道本線新橋~神戸間が全通。さらに湊川を越えて山陽鉄道(現在の山陽本線)も乗り入れる。以後、神戸駅は神戸という都市の中心として、大いに発展していくことになる。