1ページ目から読む
2/6ページ目

ホームからコンコースへ向かう。なにやら存在感のある駅舎が…

 そんなことを思いながら、高架のホームから階段を降りてコンコースへ向かう。コンコースにはどことなく戦前の昭和モダンの香りが漂い、駅舎もこれまた古めかしくも立派な風格を持つ。

 この駅舎は、なんと1930年に建てられたものだという。それ以前は地上を通っていた線路が高架化されたのに合わせてリニューアルした駅舎が、100年近く経った今も大事に使われ続けているというわけだ。駅舎から漂う風格は、この駅舎ができたころには今以上にこの駅の存在感が大きいものだったのだろうと想像させる。

 

 そんな立派な駅舎に合わせるかのように、駅前も広大なスペースが確保されたザ・ターミナル。その大半を占めているのはバス乗り場で、空から見ると星形の屋根が架かっている独特な形状がシンボルだ。

ADVERTISEMENT

 タクシープールや小さな公園スペースなどもあり、駅出入り口の正面には「海からの便り」と名付けられたオブジェも置かれている。このあたりも、まさに都市名そのままの名を持つ駅らしさ。いくつもの路線が乗り入れて雑多な駅前空間を持つ三ノ宮駅と比べると、神戸駅の方が堂々たる顔を持っているといっていい。

駅前から雑居ビルの合間を抜け、大通りに出ると…

 駅前広場から雑居ビルの合間を抜けると、すぐに多聞通という大通に出る。多聞通の地下には阪急・阪神の神戸高速線が通る。高速神戸という駅は、ちょうど神戸駅前の多聞通地下にある、もうひとつのターミナルである。

 神戸駅前、多聞通の向こうには湊川神社が見える。楠木正成を祀るお社で、1872年に明治政府によって創建された新しい神社だ。楠木正成は後醍醐天皇に従って足利尊氏らと戦い、最期はいまの神戸駅前付近が戦場となった湊川の戦いで敗死した。

 

 そんな英雄ということで、この地にあった楠公墓碑には幕末の尊皇の志士たちが足繁く通っていたという。おおむね彼らがそのまま明治政府の中心になったので、早々に湊川神社が創建されることになったのだろう。

 ちなみに、湊川神社が創建された頃、この地域一帯は北風家という瀬戸内海海運で財を成した豪商の土地だった。

 北風家は伊藤博文や西郷隆盛の活動を資金面から支え、明治に入ってからは湊川神社の建立にあたって私財を投入。神戸駅の建設が決まると、自らの土地を無償で提供したというから、なかなかの篤志家である。そんな北風家も、瀬戸内海海運の衰退でほどなく没落してしまったのだから、世の中はあまりうまくできていない。