OSO18はなぜ「動かなかった」のか?
前回の記事でも述べたが、OSOを作り出したのは最初から最後まで人間だったという見方もできる。
藤本に言わせれば〈老獪ではあるが普通のクマ〉だったOSOは、栄養価の高い牧草を食べることで道東で爆発的に増えたエゾジカを食べて肉の味を覚え、家畜の飼料として作付け面積を増やしているデントコーンに引き寄せられるように牧場にやってきて、牛を襲うようになった。そして人間の側がその捕獲にてこずっているうちに、人間のことを学習し、その危険を巧妙に避ける術を身に着けた。それがOSO18という“怪物”の物語である。
この物語には、同じ事を繰り返さないための人間に向けた教訓という面もある。しっかりとした検証と、今後の対策についての正式な報告が待たれる。
私は藤本と赤石のインタビューをこう結んだ。
〈藤本と赤石に「このままではいずれ、第2、第3のOSOが現れますか?」と尋ねた。間髪入れずに藤本は「出るよ。間違いなく」と答えた。
赤石の言い方ではこうなる。
「クマっていうのは、一度味を覚えたら、必ずまたやるから。これだけクマが増えて、ハンターは逆に減っていって、今にひどいことになるよ」
OSOとの戦いは、いずれ終わるだろう。だが、もしかするとそれは人間とクマがこれから迎える本当の戦いの「序章」に過ぎないのかもしれない〉
確かにOSOと人間との4年間におよぶ闘いは、これで幕引きとなった。その呆気なさすぎる最期は、OSOが“怪物”ではなく、どこにでもいる普通のクマだったことを示しているともいえる。だからこそ、気になるのだ。
なぜ、ハンターと対峙したOSOは「動かなかった」のか。その最期の瞬間、彼を捉えたものは、逃走への倦怠だったのか、運命への諦観だったのか、それとも――。
OSOの駆除が報じられてから1週間が過ぎようとしているが、私はまだそんな詮無いことを考えている。