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「獣には獣としてそれなりに応じてあげる」‟ススキノ首狩り殺人”29歳黒髪容疑者の父がブログに綴った‟人間の闇”と‟愛娘と泣いた日”

source : 週刊文春Webオリジナル

genre : ニュース, 社会

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 一方で、修容疑者は“殺人”事件、特に当時瑠奈容疑者と年の近い少年が関わった事件に関心を寄せていたことも分かる。

 2000年5月3日のブログには、当時17歳の少年が愛知県豊川市で主婦を刺殺した事件について触れ、

〈「殺す体験をしたかった」との動機?で殺人事件を起こした「良い子」の高校生が自首した〉

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〈とりあえず現時点での断片的な情報から私が単純に考えたこと。その1:「良い子=大人にとって都合の良い子」であって、必ずしも(心身ともに)健全な子とは言えないのだから、事件前の素行はあてにならない。「何をしでかすのか分からない」と言っているのではない。「良い子」というものさしと、「すこやかさ」のものさしは別物だと言いたい〉

 と見解をつづっていた。

田村修容疑者が書いたとみられるブログ

 2003年、長崎市で幼稚園の男児(当時4歳)が中学1年の少年に連れ去られ殺害された事件については7月15日のブログにこう書く。

〈世間は長崎の事件で騒がしい。確実な情報が不足しているため、この件そのものについてはコメントはしない。

 連日の報道に触れて一番腹が立つのが「心の闇」。このキーワードを使うとき、書き手も読み手も、「こんなとんでもないことをしでかす子は、いい子の仮面の下に大きな心の闇を持っているに違いない」と考え、自分とは違う何かを探し出そうとする。あたかも心の闇は、健全な魂には存在してはいけないかのように。だいたいいい子というキーワードもくせ者なんだが。

 大きな声で言えるが、私にだって大きな心の闇はある。まぁ私の心が健全かどうかは私自身には判断できませんが…誰にも言えないことだってたくさんある。でもそれに支配されるかどうかは別問題。モノを欲しがるのは自由だが、手当たり次第に他人のものを奪えばそれはドロボー。当たり前。思うことと、やることは別。「心の闇」が問題ではなくて、どれだけ自分をコントロールできるかどうかが大事。このコントロール感覚は自分以外の他者との関係によってしか育まれないことだと思う〉

田村修容疑者が書いたとみられるブログ

 03年当時、瑠奈容疑者はまだ9歳。修容疑者は瑠奈容疑者が既に心の闇を抱え、“自分をコントロールできない”ことに気付いていたのだろうか――。

幼稚園時代の田村瑠奈(卒園時のアルバムより)

小学生の娘が見せた「心の闇」

 週刊文春では、瑠奈容疑者が小学生時代に同級生に起こしたトラブルについて#3で報じた。

「小5の時に同じクラスで、ある時、瑠奈の服装を『アニメのキャラみたいだな』と茶化したら、急に筆箱からカッターナイフを持ち出して、追っかけてきて。馬乗りになられて首にカッターを突き付けられたんです。そこで周りの友達が止めに入ってくれたけど、瑠奈は『次言ったら刺すからな』と。本気で刺されると思いました。今でも鮮明に覚えています」(瑠奈容疑者の小学校時代の同級生)

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