「皆さんの大声援のお陰でノーヒットノーラン達成できました! ありがとうございました!」
柳裕也はヒーローインタビューで大ボケをかました。スタンドは大爆笑。サヨナラ弾の宇佐見真吾、同点ソロの石川昂弥、26試合連続安打の岡林勇希も笑顔が弾けた。お立ち台になんと4人。8月13日の広島戦はお祭り騒ぎだった。
立浪和義監督は柳について「今日は要所でフォークが決まった」と称えた。幻のノーヒットノーラン。その舞台裏に何があったのか。
立浪監督から言われた「フォーク、投げてみないか」
8月7日、ナゴヤ球場で先発投手5人の練習があった。ウォーミングアップ前、柳は全員を集めた。
「昨日、4回途中降板の僕が言うのもなんですが、もう1度、先発がチームを引っ張っていきましょう。(小笠原)慎之介、(高橋)宏斗、俺たち3人は1イニングでも長く。松葉(貴大)さん、前回(8月4日ヤクルト戦)、5回で代わった時、悔しそうにしていたのを見ました。もっと投げたい気持ちが伝わりました。次、残業してください。仲地(礼亜)は何も気にしなくていい。自分の事だけ考えて投げなさい」
心は一つになった。
「前日の試合後に落合(英二)さんと大塚(晶文)さんに『今週は先発27イニング、リリーフも27イニング。先発がもうひと踏ん張りしてほしい』と言われ、僕たちが頑張らないといけないと思いました」
柳は投球を見直し、ブルペンの調整法を変えた。
「コーナーを狙い過ぎてフォアボールが多かったので、意識を変えました。簡単に言うと、『あそこに投げよう』から『あの辺に投げよう』と」
柳は登板2日前にブルペンに入る。球数は約50。それまでは全球種を左右に投げ分けていた。
「30球から35球、真ん中の真っ直ぐにしました。プロ入り後初めてです。真ん中なんていつでも投げられますし。でも、効果ありましたね。まず、思い切り腕が振れます。腕を振る感覚が戻ってきました。あと、ストライクゾーンが広く感じます。それまで四隅キチキチを狙っていたので、ちょっとずれるとボール。でも、真ん中に投げてちょっとずれたら、むしろいいボール。窮屈なピッチングから解放されました」
春先に明治大学の先輩とした会話もふと思い出した。
「坂本(誠志郎)さんと食事に行った時、好調な阪神投手陣をリードする上での心構えを聞いたら、『とにかくフォアボールだけは出さないように意識している』と返ってきました」
フォークにも紆余曲折があった。
「甲子園(5月4日阪神戦)で負けた次の日に監督から『フォーク、投げてみないか』と言われました。でも、僕は投げられないんです。どんな変化球でもある程度は投げられますが、フォークだけは本当に感覚がない。大学時代なんて1球も投げていません」
横浜高校2年時の怪我も影響している。
「バントした時に投球が右の人差し指に当たったんです。爪が取れて、大量出血して、神経もやられて、今も少し感覚がおかしいんです。いくらフォークを練習しても、指は痛いし、血豆はできるし、落ちませんでした。毎年、春のキャンプで杉下(茂)さんに教わりましたが、『頑張ります』と言って投げませんでした。それくらい無理なんです」