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――そんな「野放し」でやられていたディレクター時代の直属の上司である石田弘さんはどんな方でしたか。

:石田さんは『ミュージックフェア』を長年担当しているので、音楽界で大変なリスペクトをされている方。僕は石田班にいて、貴明の直訴で『みなさんのおかげです』が始まったときに、石田さんは「自分はお笑いのことはわからないから」って野放しにしてくれた。自由にやらせてもらったし、守るべきところは守ってくれたのは感謝してますね。

 それと音楽界に顔が利くので、聖子ちゃんやキョンキョン(小泉今日子)や、スター歌手の方が『みなさん』に喜んで出てくれたのは石田さんの存在も大きかったと思います。

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©山元茂樹/文藝春秋

今のフジテレビは良い変わり方をしている

――フジテレビでは当時、石田班、横澤(彪)班、王(東順)班など、いわゆる派閥間のライバル意識が激しかったと伝えられています。

:1970年に制作局を廃止してプロダクション化したという歴史的背景があるんですよね。80年に制作局が復活して本社に戻っても、各プロダクション出身ごとに自然と張り合っていたわけです。今思い返すと、それぞれの班に看板タレントさんがいて、その人たちをすごく大事にしていた。当時はそれがいい方向に動いて3冠王を獲る原動力になったと思います。あいつが当てたら俺も当ててやろうってライバル意識を持つのは当然のことですから。

 ただ自分が2000年にバラエティ制作部長になったときには、3冠を獲れなくて2位になっていた。もう1回3冠を獲っていくために、『27時間テレビ』のような大型番組で、まとまるべきときはまとまろうと号令をかけ、若手ディレクターの企画勉強会もやりました。

 そうして若いディレクターたちの発想を、兄貴分的な先輩たちがアドバイスしてパッケージ化した『トリビアの泉』が、2003年に深夜からゴールデンに上がった初回で20%を獲得したのは勇気をもらいましたね。

©山元茂樹/文藝春秋

――いまのフジテレビに、そういういい意味でのライバル意識は感じますか?

:このあいだの『27時間テレビ』も全員参加でやったのは、班が明確にわかれてた時代を考えると隔世の感とまでは言わないけど、変わったなって思いますよね。それはいい変わり方をしていると思います。バランスがいい感じで、それぞれにライバル意識を持ってやっていると思いますよ。